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ホストに溺れてた話

3回目の閉鎖病棟での入院生活後(23歳かな)、病棟で友達になった人と新宿を歩いている時に声をかけられたのをきっかけに、ホストクラブにズブズブにハマる。

自分の仕事前の1時間だけでも(職場は神奈川)歌舞伎町に行き、1年半通いつめました。

給料の9割はホスト。一緒に暮らしていた母には、とても辛い思いをさせました。

誰の注意も聞かず、元々の性格上、掛け飲みはしたくなかったので、お金が足りなくなれば親にお金をたかり、ホストには暴言を吐かれ、その八つ当たりを母へと。

最低な娘でした。

歴代ホストは4人変わりました。

23歳から27歳まで、全てを捧げました。友達なんていないです。所謂ホス狂の飲み仲間しか出来ません。

同棲をしたホストもいました。当時は付き合っていると。自分のことを当然相手も好きだろうと思い込んでいました。

ある日、実家に帰るといったきりダラダラと連絡は来たもののフェードアウトされて捨てられました。

当時の両親の気持ちを思うと心臓がキュルキュルします。特に母。

一昨年、白血病と脳梗塞で倒れてしまい今では一緒に暮らすことが出来ない母への後悔と罪悪感、自責の念は消えることは無いだろうと思います。

対人関係療法を始めてから少しだけマシにはなりましたが、闘病中の母との残された時間を思うと悲しくなります。

ホストへの依存は、ナンバー1に拘る自分を手放したのと同時期くらいに消えました。

歌舞伎町は今でも行きたくないような、行きたいような複雑な場所です。

もう少し成長したら、きっと色褪せた思い出として懐かしく思うかな。怖いな。

同棲ホストの後の4人目のホストは自分なりに一番お金と気持ちをすり減らしながら応援してました。今はもうホストはやっていないかもしれないけれど、良くも悪くも一番刺激を与えてきた人でした。

同業者なのにハマってしまうなんて変な話ですね。少し考えれば、相手は営業の為に私との時間を過ごしていることくらい分かるものなのに。冴えないシャンパンタワーも頑張ってやりましたが、得たものは5分間の高揚した気持ちだけでした。

やっぱりお金は自己投資や、大切な家族のために優先するべきですね。約4年間のあの頃の私の苦しい心の叫びを今の私なら聞いてあげられる気がするな〜。

可哀想だったなと、未だに泣きそうになります笑

二度と戻る世界ではないでしょう。

ちなみにこの頃の生活は荒みすぎてます。

休日

ホスト→朝方タクシーで歌舞伎町ー神奈川を二万弱かけて帰宅→過食嘔吐→寝る→過食嘔吐→ホスト 以下略

平日

過食嘔吐→寝る→過食嘔吐→仕事→過食嘔吐→寝る 以下略

1人目のホストの時は、平日も通えましたが、仕事を頑張りだしてからは自身の営業活動に勤しんでいたので時間はありませんでした。

今でもたまに起こるのですが、当時は”解離”を起こしていたらしく記憶にモヤがかかっていて鮮明に思い返せるものと、そうでないものがあります。


そして、男の人を好きになることが無くなってしまったᕕ( ᐛ )ᕗ

男性に対して諦めに近い感覚というか、、自分のスペックさておき理想が高いのでしょう(見た目ではなくて)

過食嘔吐もありますし、恋愛はまだまだ先になりそうです。

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