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写真を通して受け取る、愛のバトン

引っ越しを機に昔の写真を整理している。
祖父母の若い頃から両親の赤ん坊の頃、私の生まれた時からこれまで、
そして自分の子どもたち(3人)のこれまでと、4世代分の写真を整理するのはそう簡単ではない。

祖父母の若い頃の写真なんて手に入らないと思っていたら、
実家を手放すタイミングで白黒の手のひらサイズの渋い写真がわんさか出てきた。

祖父がギターを片手にタバコを咥えていたり
(楽器を触ったことがあるなんて聞いたこともなかった)
母が初恋の男子と並んでいる写真があったり
(父じゃない)

そして、写真はカラーになっていき、私が登場する。
さすが初孫だけあって、新生児の頃の写真の多いこと。
大概目を瞑っているかあくびをしている写真なのに、みんなが取っ替え引っ替え同じアングルで私を嬉しそうに抱っこしている写真がたんまりある。

その中から選りすぐりを選ぶというのは本当に難しいのだけど、
今回は思い切って小さな段ボール一箱の中にこの4世代の写真を全てまとめた。

私は写真を捨てることがどうしてもできなかった。
写真を捨ててしまうと、思い出が消えてしまいそうな気がしたからだ。
映画「リメンバーミー」のように、写真の中の人たちが
忘れられていって消えてしまうような、そんな気がして怖かったのだ。

ことに父の写真は捨てられなかった。
私が父と写っている写真は、私にとって私にも父が本当にいたんだということを確認できる唯一のもの。
それでなくとも少ない父との思い出が減っていきそうで怖かった。

でも、今回そんな父との写真も思い切って減らそうと思った。
もちろん、大好きな写真は手元に残している。

なぜ手放そうと思えたのか。

それは写真を改めて見返しているうちに、
私は自分の心が「もう大丈夫」と言ったのが聞こえたから。

これまでの私は愛されていたのかずっと不安だった。
だから大切そうに抱かれたり遊んでもらっている自分の写真を見て、
「私も愛されていたんだ」ということを確認したかった。

その確認材料が、私にとって「写真」だったのだ。
見ては、確認して、ほっとして、また現実世界に戻っていく。
そしてまた不安になっては戻る。

私にとって昔の写真はそんな存在だった。

けれど、今回写真を改めて眺めた時に、
私はもう写真に戻ってわざわざ確認しなくとも、
私の日々は今はもう会えないたくさんの人たちとの繋がと愛に
溢れていることに気付いた。
それは、確認しなくても、「事実」として、今この瞬間にも私の心の中に温かなものとして存在している。

もう写真たちに過度に「すがる」必要はないと思ったのだ。

手のひらに収まる写真たちがあれば、十分子どもたちに語り継いでいける。
この写真の中に詰まっている愛情は、今の私の人生の中に
あふれるほど詰まっているし、どこにも逃げないと心から思えた。

そして私の心の中にある彼らから受け取ったこの温かなものは、
日々の子どもたちとのやりとりの中で今度は私がバトンを繋いでいこう。

自分で整理しきれないほどの大量の写真に頼らなくても、
今日を生きていくことで、この温かなものは繋いでいけると思った。

それが私の心が放った「もう大丈夫」だったんだと思う。

ファインダー越しにどんな顔をしておじいちゃんやおばあちゃんは
父や母を撮ったのだろう、そんなことを想像しながら、
改めて一枚一枚の写真を整理した。

白黒の写真の中で微笑むみんな。
愛し、愛され、愛のバトンは続いていく。

引っ越し先で、この写真が入る素敵なアルバムを買おうと思う。
そして、真っ白な空白のページには祖父母や両親たちから受け継いだとびっきりの愛情で満たされた日々を入れていこう。

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