026

芳明の風景

 その『声』が響いたとき、僕は見た。洞窟に差し込んでいた光がまぶしさを増したのを。
 一体なんなのだ。どこから聞こえているんだ。
 これが、彼女の言う『声』なのか。
 大きな岩の上から注がれている光は、岩を明るく映し出しはじめた。岩の影が背後に映し出されたとき、僕は彼女の腕を取った。
「頼むよ、ひかり」
 僕はそう言って、彼女の腕を掴んだまま出口へ向かって歩きはじめた。彼女はもちろん抵抗を続けたけれど、こればっかりは聞き入れられない。
 僕らは鍾乳洞の深い深い場所にいた。そんなところで声が聞こえてくるなんて。もちろん人なんているわけがなかった。
 それに、丸くて大きな岩の影が、なぜあんな形をしているんだ。僕には理解ができない。すぐにでも、この場を立ち去らないとなにか大変なことが起きてしまうに決まっている。
 なんなんだ、あの影は。まるで、まるで、龍の姿だったじゃないか・・・

 ひたすらに歩きつづけて、外に出た僕はその場で立ち尽くしてしまった。真っ暗な洞窟から出てきたせいで、目がおかしくなっているのかと思った。
 目の前の小高い山は炎に包まれ、緑色に光っていた木々は黒煙をあげ、パチパチとゴーゴーとすさまじい音をたてていた。あちこちで大木が倒れる音がする。その風景は延々とつづいているようだった。もくもくと煙が立ちこめ、近くの山も遠くの山も燃えていた。
 あたり一帯にもやがかかり、ほんの数メートル先は何も見えないほどに煙が充満していた。洞窟の中の湿った空気になれていた身体は、急激な変化に驚き、空気が入って来ることを拒絶するかのように激しい咳を引き起こした。咳のあまりの激しさに一時呼吸困難に陥って、頭の中の酸素も欠乏して座り込んでしまった。
 目をこすり、何度あたりを見渡しても、風景はかわらなかった。僕たちが鍾乳洞の探索を終えて地上に戻ってくると、あたりの風景はすべて変わっていた。
 立ち枯れる木。黒ずむ空。
 僕らが出てきたばかりの洞窟以外はすべてが変わり果てていた。景色だけじゃなく、焦げくさい異様な匂いがあたりを包み込んでいた。
 ほんの数時間前、僕たちが洞窟に足を踏み入れたときまで、世界はなにもかわらずに、時を刻んでいたというのに。
 あまりの驚きに、その場にただただ座り込んでしまった。
「なんなんだ。なにが起きたんだ? 」
 僕のすぐ横で立ち尽くしていた彼女は、口を押さえながら叫びだした。言葉にならない、狂ったような叫び声は、グレーの煙で包まれた辺り一帯に響いた。
 しばらくの間叫びつづけた彼女は、力をなくし座り込みブツブツとつぶやきはじめた。
「いやー」
 彼女の目からはあとからあとから涙が湧いてきた。
「なに? なんなの? どういうこと?
 わたしに真実を教えてくれるって。それが、これなの? イヤだ」
「おい、大丈夫か。おい」
「どうして? これが恐ろしい真実なの?」
 細かく震える彼女の身体を抱き抱えて、僕は必死になって何度も呼びかけた。うつろになって宙を舞う彼女の瞳は、目の前にいる僕を通り越して、ずっとずっと遠いところを映していた。僕が彼女の身体を揺り動かしても、彼女のこころは動かされず、ただ両腕だけがぷらぷらと揺れていた。
 このままここにいてはダメだ。そう思った僕は、彼女を支えるようにして無理矢理洞窟の中に連れ戻した。あの衝撃的な風景の中で、壊れていきそうな彼女を見ていることなんてできなかった。僕自身、突然の出来事にどうするすべもなく動揺しているというのに、彼女のそんな取り乱しようを見ているとおかしくなってしまいそうだった。
 洞窟の中に入り平らになっている岩を見つけると、彼女をとりあえずその上に座らせた。動揺した彼女をそのまま表現しているかのように、いつもはきれいにめている髪がほどけてくしゃくしゃになってしまっていた。ここまで連れて歩いてくる間に髪留めが外れて、どこかに落としてしまったようだった。僕はリュックを降ろして水筒を取り出した。
 ピチャーン。
 水音が洞窟内に響きわたる。あちこちで水の生み出す音が響く。その音がこの鍾乳洞を創りだしたのだ。彼女の荒い呼吸としゃくりあげる音、そしてこの洞窟を生み出す水の音しか聞こえてこない。この中は、さっきとなにもかわってはいない。ついさっきまでは満足して歩いていたこの小道。あれから、ほんの少しの時間しか経っていないというのに。僕らふたりはすべての力をなくしてただ座っているだけだった。
 一体、どちらが夢で、どちらが現実なのだろうか。僕は水筒のふたをあけると水をコップに注いだ。この冷たい水を飲めば彼女も少しは落ち着くだろう。頼む、落ち着いてくれ。僕は無言で彼女の前にそのコップを差しだした。
 彼女は力無くコップを手に取ると、両手で包み込むようにしてただ眺めていた。彼女の瞳からは、ポロポロと涙がこぼれつづけている。
「飲みな、まずは。泣くのはそれからだ」
 こくんとうなずくと彼女は一気に飲み干した。何度も何度も深呼吸を繰り返すと、彼女はようやく落ち着きを取り戻しはじめ、長い髪を手ぐしで整えようとしていた。
 僕はこんな彼女を見たことがない。いつも笑っていて明るくて、脳天気で、たまにとてつもなく突飛なことを言い出して、それでいて真面目でちょっと堅すぎるところもある彼女。彼女が泣いて取り乱して崩れおちるさまは、バベルの塔が目の前で崩壊するよりも衝撃的だった。
「どうして? わたしは世界を滅びに導いたものの正体を教えてっていったの。世界を滅ぼしてなんて、言ってない。世界がこうならないように、それを止めたくて。どうすれば止められるのか、ずっと考えてた。
 世界の崩壊を止める方法を探して生きてきた。でも、なんなのこれは。わたしは、世界を滅ぼしたいんじゃない。それを止める手になりたいって言ったの。
 わたしのせい? わたしが真実を知りたいと言ったから?」
「おい、まてよ。きみが悪いわけじゃないだろ。自分を責めて泣いたってしょうがない。
 たとえ世界が滅んだとしても、それはきみのせいじゃない」
「ちがーう」
 彼女の苦痛にまみれた絶叫は洞窟の中で反響し、なんどもなんども繰り返し僕らの耳に、僕らのこころに響きわたった。彼女は泣きじゃくっていた。横にいる僕も、あの光景を消し去れるほどの言葉を彼女にかけるなんてできるわけがなかった。
「それは、わたしのせい。
 世界が滅んでしまったとすれば、それは、止められなかった、わたしの責任」
 ひとしきり泣いた彼女は、すべてを吐き出すようなため息とともに、静かにそう言った。僕はいたたまれずに、懐中電灯を揺らしながらその光が照らし出す岩盤を眺めていた。
「あの『声』は、世界を滅びに導いたものの正体を教えてくれると言った『声』の主は、一体誰なんだろう」
「『声』は。
 ねえ、聞こえたの? 芳明にも聞こえたの?」
「うん」
「真実を教えてくれるって言ったよね」
「真実って、一体何なんだろう」
 彼女は僕が持ったままだった水筒を受け取って、水をコップに注いだ。そしてそれを僕に手渡した。
 いつもそうだ。食べたり、飲んだり、なにか楽しいことをするとき、彼女はまず人に分け与えた。そして誰かが、飲んだり、食べたり、うれしそうな顔をしているのを眺めながら、彼女もまたうれしそうに笑う。そんなふうにして幸せを分け与えながらも、つらいことや苦しいことはいつもその胸に閉じこめて生きてきたのだろう。
 僕は彼女を抱きしめるかわりに、彼女の手から水筒を受け取ると想いを込めて水を注いだ。
「ありがとう」
 そういいながら、ゆっくりと水を飲んでいく。最後のひとしずくまでをおいしそうにうれしそうに。それは昨日の夜、満月の光の中で輝きながら笑う彼女が、月のエネルギーを染み込ませていた水だった。
 月の水がその喉を通っていくと同時に、彼女の瞳から涙がこぼれた。
「に飛行機が墜落した」
 さっきまでの取り乱した彼女ではなかった。長年の苦悩の末にはじめて世界に落とした悲しみの涙は、洞窟に染み込んでいった。
「へのこ、という不思議な響きだけがわたしの脳裏に焼き付いていた。
 あの海にたどり着いたとき、龍はそれを見せてくれた。ここが、その海だって。がじまるは、教えてくれた。ここが、その場所だって。それは龍宮城の入り口じゃない、それは「世界のおわりのはじまり」の場所だったのよ。
 遠い世界の夢だと思っていた。「世界のおわりのはじまり」の場面は、どこか遠い国のことだって。違う。遠くなんてない。あの海なんだ。あの龍のほこらだったんだ」
 静かな洞窟に彼女の言葉が染み込んでゆく。失われてしまった世界へのレクイエムのように、彼女の語りは静かにいつまでもつづいた。残響になるはずもないほどにひそやかな声なのに、洞窟の中は彼女の声でいっぱいになっていた。
「これじゃ、なんのためにそんな夢を見せられていたのかわからない。止められないんじゃ、ただ苦しいだけじゃない。どうして、わたしは、どうしたらいいの?
 関空へ向かうはずだった飛行機が、米軍基地の辺野古弾薬庫に墜落した。離陸直後に。
「かんくう、かんくう」、って。夢から覚めたわたしは、うわごとのようにつぶやいていた。まだ、関西空港ができる遥か前から。そんな空港建設のことなど知るはずもない幼いわたしが。
 いやだ。未来を変えることができないのなら、なぜそんな夢を見せるの。どうして、わたしを呼ぶの?」
 彼女は、長い長いため息をついて、涙を拭った。
「それが、現実に起きたと?」
 辺野古に、龍の海に、飛行機が墜落したとして、なぜそれほどまでのひどい状況がおこるんだ。ただの飛行機事故で、名護が壊滅するほどの惨状が起こるわけがない。今は彼女は混乱しているから、こんなことを言い出しているだけだ。
 僕は、こころの中で強く否定した。彼女のただの妄想であって欲しいと。
「わからないよ。そんなこと。
 でもね、その飛行機に乗っていたわたしは、機体とともに辺野古の基地に墜ちたの。
 一瞬にして世界地図から消えた日本とともに、一瞬にして消え去ったわ」
「なんだよそれ。どういうこと? きみもその飛行機に乗っていた?」
「わからない・・・
 そうね、いつか、死んでしまうのかも。そうね、それを止めることができなかったら、わたしは飛行機とともに死んでしまうのかもしれないね。
 そんなことよりも、世界が滅びる可能性に気づいてしまった方が、ううん世界の現状を知らずにのほほんと生きてきた自分の愚かさに気づいてしまったことの方がわたしには重要なことだったの」
「でも、ちょっと待てよ。世界は滅びてなんかいない。
 そうだ、山火事だよ。きっと山が燃えていただけだよ」
 彼女を落ち着かせようと僕は必死になっていろんなことを考えていた。
「それにさ、基地に飛行機が落ちたくらいで、日本が消えるわけないだろう。大げさだよ、それはいくらなんでも」
 ほほにしずくを光らせながら、突然彼女が立ち上がった。考えごとをしているみたいに落ち着かずに、身体を揺らせて、目をきょろきょろさせている。上を見上げたり、目を見開いて後ろを見たり、やがて彼女は耳をふさいで座り込んでしまった。
 嗚咽をこらえながら、悲しい吐息を洞窟内に響かせた。やがて静かな静かな声でつぶやきはじめた言葉は、彼女のこころを通して発せられているのではなく、どこか遠くから送られた信号のように僕の耳に届いてきた。
「米軍基地の辺野古弾薬庫に秘密裏に運ばれようとしていた核兵器が・・・」
「核? なぜ、核が沖縄の基地に?」
 誰もが知っているあたりまえの歴史を読み上げるような口調で、淡々と語りつづけられた。
「まだ掘り出されていない石油があるの。世界の石油埋蔵量に数えられていない膨大な原油が」
「石油?」
「中国と台湾を戦争させようって」
「なんのことだよ?」
「中国と台湾の戦争の準備。アメリカは尖閣列島の石油利権にからんで、中台戦争をはじめようとしていたの。けれど、アメリカのもくろみは吹き飛ぶの。
 核兵器を沖縄で爆発させることで、教義を完成させようとしていたカルト集団が存在している。ハイジャックされた飛行機は、辺野古弾薬庫に墜落する。それは彼らが望む新しい世界のための破壊となる」
「バカな。なんでそんなことをする必要があるんだ。なぜ、沖縄を?」
「その緊急事態を受けて、米軍は沖縄を占領する。辺野古を境に沖縄本島の南北は分断されて、沖縄は日本の権力の及ばない島になった。けれど、そのときにはもう遅かったの」
 静かな語り口があまりにもリアルな映像を暗闇の中に映し出した。恐ろしくて、僕は彼女を止めようとした。けれど、両腕をつかんで身体を揺さぶっても、彼女の言葉は途切れることなくつづいていた。僕を振り払った彼女は立ち上がると真っ暗な天井を見上げて言葉をつづけた。
「それに連動するかのように地震が起きる。滋賀、岐阜、京都。千葉、静岡、茨城、神奈川。
 なにを驚くことがあるというの? いつ起こってもおかしくないといわれつづけてきた地震が、やっと起きただけよ。
 地中のエネルギーは爆発寸前まで溜め込まれていた。都会に暮らす人間のストレスと同じくらいに。
 日本列島のいくつもの原子力発電所は活断層の真上に建てられている。それが危険だなんていうことは、誰が考えてもわかる。わたしたちは見ないようにしてきただけ。
 あちこちの原子炉にはひびが入り、浜岡原発は手の着けられない事故を引き起こす。チェルノブイリもスリーマイル島をもはるかに越える想像もつかない規模の事故が日本で起きるの。
 そんなことが起こるのは、あたりまえに想定されていた。知らないなんて、言わせない。知らないふりをして、原発を止めなかった、すべての人間に等しく死の灰は降り注ぐ。静岡はもちろん、首都圏にも死の灰が降り注ぎ、日本は国家を運営する機能を失う。ソ連がたった一回の地震が引き金となって崩壊したように。
 原発災害の犠牲者の中には、各国の大使や企業の社員がいた。世界中が自国の民を救出するために、軍隊や医療団を急派した。その結果? 東京は他の国をこれまでしてきたのと同じように、救援活動という名の下に、アメリカを中心とした各国軍に占領されるの。
 アメリカは辺野古の墜落事故を中国人のテロリストによる犯行だと発表して、中国へ向けて攻撃を開始した。沖縄と東京が火種となって第三次世界大戦の火蓋が落とされる。
 そして、世界はその美しさを永劫に失ってしまう。沖縄と関空が歴史の終焉の舞台となったことを語り継ぐ人は、この惑星にはもう誰も残らなかった」
「じゃあ、その夢が現実となったとしたら」
 彼女は何も答えずに、大きな大きなため息をついた。
 あれほどまでに彼女が取り乱した理由が、僕にもはじめて理解できた。

 世界の最後の日。

 それは、すぐそこにある恐怖だ。世界中には、地球や人類を何十回、何百回、何千回と滅ぼしてもあまりある兵器が存在している。どこからだって、簡単に火をつけることができる。狂気の上の危うい正気でかろうじて継続されているこの世界は、ほんのちょっと針が狂気の側にふれるだけで簡単に滅んでしまう。僕たちは、そんなところにいる。
 僕らは、こうして極限の状況をつきつけられなければ、そのことを実感できないほどに無意識に生きている。
 この話しをわかちあえる人が彼女にはいたのだろうか。今だって、そうだ。僕だったからこの話しをしてくれたのではなくて、この状況で一緒にいたのが僕だったから話してくれただけのことだ。その苦しさを表に出すことなく、ただひとりで世界の崩壊を防ぐ方法を探して葛藤していたのだろうか。だとすれば、なんと孤独で、苦しい人生だろう。
 こんなにもそばにいて、彼女の苦悩をなにひとつとして理解していなかったなんて。一体僕は彼女の何を見て、どこを愛しいと想い、なにを愛していたというのだろうか。
 世界はほんとうに滅びてしまったのだろうか?
 彼女の告げたような、そんなパニック映画のようなことが、この洞窟の外で起こってしまったのだろうか?
 僕らはこれからどうするべきなんだ? 
 この洞窟から外に出て、現状を把握するべきなんだろう。でも、どうやって?
 またしても、僕の頭は混乱しはじめていた。
 彼女は突然立ち上がった。
「どうしたんだ?」
 彼女は暗がりに向かって歩きはじめた。驚いた僕は、とっさに彼女の腕を強くつかんだ。
 洞窟内には、僕らのほかには誰もいなかった。そして、外のあの風景。少し冷静に動くべきだ。僕らふたりは、数少ない生存者なのかも知れないのだから。
 彼女は疲れ切って弱々しく、それでいて強い目で僕を睨み付けた。そうすることが当たり前のことなのに、まるで僕が彼女の邪魔をしているかのように。
「行くよ」
「だけど」
「行くの」
 こういうとき、だらしなくも動けなくなってしまうのは、男の方なのだろう。
 僕らはしっかりと手を繋いで、今あがってきたばかりの奥へ奥へとつづく細く暗い道を歩きはじめた。
「もうどこにも逃げることはできない。この場を、わたしたちの世界を天国にすることを考えなければならないよ」
 彼女は懐中電灯一本の明かるさだけを頼りに、先を歩いていく。どんどん彼女の声は大きくなっていった。
「わたしはね、くやしいの。自分だけが生き残るなんて、絶対にイヤだった。
 あのとき響いた『声』に導かれて、生き方を変えたの。その結果が、これ? どうして。なにを間違ってしまったの? なにが足りなかったの?」
 彼女の声が暗い洞窟内で響きわたる。
「なんなの? なんのために、こんなことが起こるの? こんなことの中に、なんの学びがあるっていうの?
 くだらなすぎる。天国なんて、どこにもないんだよ。ここにしかないんだよ。手に入らないものを追い求めて、わたしたちは楽園を地獄にしてしまったんだ。
 世界が滅びる夢を見たとき、戦争が起こったとき。いっぱいいっぱい血が流れて人が死んでいくのを見てきた。その夢のお陰でね、わたしは悩んで悩んで、狂いそうになった日々を乗り越えて、いろんなことを学んできた。わたしの結論はシンプルだよ。
 わたしはみんなで一緒に行きたいの。
 もしも、宗教者とかスピリチャルな人たちが言うように、浄化とか世界最終戦争(ハルマゲドン)とか次元上昇(アセンション)とか、そんなのが、そんな日が来るならば、みんなでその日を越えようって、そう思ったの。
 選民だとか、覚醒者だとかしかが生き残れないんだとしたら、ふざけんな、みんなで覚醒してやろうって思ったのよ。
 だったら、覚醒する方法はなに?
 わからないよ、方法なんて、わたしにはまだ。それが悔しい。わたしはまだそれを見つけられない、まだ探している途中なの。
 でもそれは、宗教じゃない。戦争や争いばかりを起こしてきた宗教なんかじゃない。
 暴力では何も解決できない。戦争なんてクソクラエだよ。恨みからはなんにもはじまらない。環境問題や、人権問題や、難民や飢餓や食糧問題、戦争や紛争とか、人類が抱えている滅びへの道を調べれば調べるほど、ひとつの真っ黒なラインが見えてきた。わたしはずっとずっと、そのラインを解きほぐす術を探してきたの。この世界を覆っている黒い雲さえ、ひとつなんだよ。すべてはわたしの中にあるんだよ」
 頭の中に湧いてくる最悪の状況を払拭させて、すべてを振り払うために、彼女は叫んでいた。いや、神に向かって叫んでいたのかも知れない。
「世界はこんなにも美しくて、はかなくて、おぞましくて、汚くて。
 それでも、それがいのちなの。
 わたしは世界を愛してるの。もっともっと愛したいの」
 泣きながら叫んだ彼女の一言一言が、僕の胸に刺さりつづけた。きみはこんなにも重いものをずっと抱えて、世界を眺めていたのか。
「わかったよ。もうなんだってしてやるよ。
 世界が終わってしまったならば、これ以上ひどいことになりようがないのなら。わたしはほんのすこしでも存在する可能性にかけてみるよ」
 そして、僕らはふたたびあの大岩の元へと歩いていった。


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