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【本】加害者へ治療を望むことはやさしいことなのかーストーカーとの700日戦争

内澤さんの「漂うままに島に着き」のあとがきで、紆余曲折ありせっかく定住した住居を、転居しなければならない事情があった。と書かれていて、何かなと思っていたら、この本が出版されると聞いて、そういうことか、と。

この本にも書かれているように、ストーカー被害を当事者として書いてある本はあまり見かけたことがない。ニュースになるのは、殺人事件など実際の大きな被害が起こってからだ。
でも、身近に感じられるくらい、ストーカー被害は世の中に溢れている。

交際から発展するような執拗なつきまといだけでなく、小売の現場にいた事のある女性なら自分が当事者でなくとも、アルバイトの若い女性につきまとう客のふりしたストーカーに遭遇したことがあるはず。従業員入り口での待ち伏せ、店内でのつきまとい、店への出勤確認のための問い合わせ電話、、、。
その上で更に「きちんと拒否しないからだよ」「媚びたような接客してたんじゃないの」等の被害者側の落ち度を責めるような、最悪の場合は「若いうちしかチヤホヤされないんだから」など、どう考えても本人の問題とは考えられない言葉をかけられることさえある。

圧倒的に、加害者側がどうしてそうなってしまうのか、未然に防ぐために何をすべきか、という論点がない。いつも被害にあわないために、被害者が自己防衛することが求められる。
痴漢と一緒で、なんでいつもそうなんだろう。

内澤さんは、自身の体験から、加害者側が抱える自分への執着や怨恨を、治療で対応することが再犯を防止し、自分の身の安全を保証するので、刑罰に加えて治療を進めてほしいと提言するが、今の制度では治療までの保証はされない。本人が「これがストーカー行為だ」と認識して任意でしか、治療に向かうことができないのだ。
DVに関しても同じように、訴えられて、刑罰や賠償を請求された加害者が、被害者に恨みを持たないことのほうが難しい。それなのに、その根本的な恨みや誤解を解決せずに、1年2年後にまた接触してくる、その恐怖に怯えながら住居を隠しながら暮らしていくって、なんでそうなっちゃうんだろう。

恋愛関係だけでなく、ネット上でもかなり多くのストーカーまがいの行為も目にする。誰もが当事者になり得る中で、依存症のように加害者側や家族が相談できる窓口をもっとオープンにしてほしい。
すべての犯罪に言えることかもしれないけど、威嚇し、警告し、刑罰と罰金をちらつかせる事だけが、防犯にはならない。

そのために、自身の経験を世に出して、現状と問題提起をした内澤さんはすごいと思う。

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