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どこにでも居る雑種犬のお話を。

しようかと思います。
オンオフ問わずお世話になっていた遠方の友人が愛犬を見送りました。
少々の「ペットロス」を抱えておられたその方に私がした(僭越な)昔話です。




時は私の母がまだ少女だった頃。
ペットという概念は当時の農村には存在せず、その犬もいわば「家畜」でした。名前は「クロ」。黒一色だったから。単純ですね命名が(笑)
クロは、いつも祖父の農作業のお供。一番懐き、一番畏怖していたのも祖父でした。「私の言う事なんてひとつも効かなかったんだよ」。母は当時を思い出して、今も笑いながらそんな事を語ります。

さて。このクロには少々の逸話が。
ある日の事。いつも祖父の後ろを付いてくる筈の彼がいません。
どうしたのだろう、と家族皆が思っていると、けたたましい鳴き声が聞こえてきたのです。

その声の方角に皆が視線を送ると。

農耕馬に蹴飛ばされて眼を血だらけにしたクロがよろよろと勝手口から
室内に転げるように歩いてきたのが見えたのです。
獣医師の存在はあれど「一雑種犬」に施す外科的処置の金銭的余裕など
裕福には遠い農夫一家にあろう筈も無く。
また、戦前はそんな概念自体が存在しない頃でした。
皆で世話をしました、熱心に。けれど視力が戻る筈もなく、クロは隻眼の犬となったのです。

それでも、昔の犬は丈夫でしたから、眼の傷が癒えると、以前と同じ様に
「祖父の野良仕事」のお供に出かける様に。

そして、更に月日が流れました。
働き者のクロも足腰が弱り、起き上がる事が出来ぬ日が目立ってくる様に。
昔の人は「愛玩」こそしませんでしたが「家族の一員・働き手」の事は当時のやり方で大切にしたのです。無論のこと、クロを邪険に扱うものは家族の中には誰一人としていませんでした。厳格な祖父を含めて。

そしてある日。

クロの姿が見えなくなりました。

あの負傷の日とは違い、気配すらなく、鳴き声のひとつも聞こえず。

母達、祖父の子供達で手分けして方々を探したのですが、遂に彼の姿を見つける事は叶いませんでした。

そして(母の姉)長女がぽつりと、こんな一言を。

「ああ。クロは還ったんだね、『山に』」。

解りやすく申せばクロは「死に場所を求めて飼い主の家を出た」のでしょう。農村地帯は山に囲まれていて、当時ならば犬一頭が土に還る場所はありましたから。その時代、山村に自動車は殆ど走って居らず、舗装道路も信号機も存在しませんでした。交通事故の可能性は極めて低かったのです。

そんな昔々の、飼い犬がまだ自然と一体だった頃のお話でした。


唐突な投稿でご無礼を。何かを啓蒙したい訳ではなく、誰かを責めたい訳でもないのです。けれど。
愛玩される今の犬と昔の(野放図に飼われていた)雑種犬。
どちらが幸せなのだろうか?
そんな事をふと思うのです。そして、言葉を更に重ねれば、前段で上げた知人の哀しみとはまた別にペットブームの影を思う事があります。

それは「どこに向かっていて、何のために」なのだろうか、と。

では、僭越な申し様をお詫びしつつお暇を。


拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。