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笑うことの効果。
可笑しくはなく、泣いてしまいたくなるような出来事があったとしたら。私はよく、それを笑いに変えてしまうことがある。
オヤジギャグでも何でもいい、言葉だけは達者なのだから、書くだけではなく話すことでも言い尽くしてしまえ、私、と。
母にはよく言われる。
「アンタが居なかったら、我が家は暗~いわ」
でしょうなぁ(苦笑)
道化でいい。前を向いて歩いていけたなら、それでいいのだ。
元禄歌舞伎では、演目の構成上特に重要な一場面を担当することが多く、それもただ滑稽な演技で観客を笑わせるだけではなく、司会役としての役割を兼ねた役どころだった。しかしその後の歌舞伎が物語性を追求したものになっていったこと、そして通し狂言がほとんどなくなり今日のような見取り狂言じたてになったことで、道外方の役割はしだいになくなり、天明歌舞伎のころまでには衰退してしまった。
なお当時の芝居小屋に掛けられる看板には、まず一枚目に一座の看板役者を、続く二枚目には人気の若衆方を、そして三枚目にこの道外方を書いて掲げていたが、これが面白可笑しい者のことを指す「三枚目」の語源の一つと考えられている。
怒らせることは簡単で、泣かせること、感涙させることも、さほど難しくはないのだ、本当は。だが、笑わせることの難しさは、多くの喜劇役者、その苦闘が物語っているといえよう。
人と人は何の為に関わるのか、話すのか。少なくとも負を増すことではないはずだ。ならば、笑おうではないか。それが道化と言われようとも。
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この記事は、青豆ノノさんの秀記事に触発され綴りました(2度目のリンク、失礼をお許しください。ノノさんへ)
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