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いつも、ここに戻ってくる。

ことばと広告さんのメンバーシップに加入しています。お題の「書く楽しさ」を知ったのはあの頃 から綴ってみようかと。

私が「人に物を読んで貰おう」と思い始めたのは中学校の頃でした。その頃、私は子供の頃から好きだったSNOOPYの関連雑誌「月間スヌーピー」を購読しており、Peanutsコミックの翻訳者が(当時は)詩人・谷川俊太郎さんであることを知り、自分でも詩を書いてみたいと思うようになったのです。以来、マイペースでラジオなどへ投稿し、採用されて番組でDJに読んでもらうことが書く喜びとなっていきました。

その後、高校へと進学してからは運動系の部活動に励み、それと勉強の両立に追われて詩作からは離れていました。

その私が友人からの誘いで短歌同人誌に所属、今に至ります。歌詠みのはしくれとなって30年。それでも短歌だけでは、自分の言葉が着地しない。その思いは文芸誌時代も今も変わらずにあります。

谷川俊太郎「由利の歌」(すばる書房 1977)から引用します。

凧は空に流れていた
盲目の女の子は陽だまりで
首をかしげてほゝえんでいた
プールは枯葉で一杯だった

海の底からとれたばかり
人魚のようにしずくをたらす
まだ使ってない一年をかかえて
由利の途方にくれている時

一人の青年が帰ってくる
路地で拾った凍った蝶を
掌の間であたためながら

谷川俊太郎「由利の歌」(すばる書房 1977)より

このさみしくて心地よい言葉たち。
そうした色彩のひとしずくを自稿に乗せられぬものだろうか。叶わぬ願いを祈りのように沈ませて、私は今日も書いているのです。

上記より一部を引きます。

照らされて透けてゆく
曖昧になるその先に
この手と指を伸ばすこと
赦されるのか赦すのか

見えぬまま日が落ちるまで

「終日」©春永睦月 より

意味を深く沈ませながら韻律を辿る。私という筆の一側面です。
最後に、歌詠みとして即興の1首を(「短歌作ろう」お題「短歌の短歌をつぶやく」で出詠したものです)。

なにゆえに三十一文字で詠うのか解らぬままに 七五を刻む

©春永睦月


言葉を刻むには己の手とペン、若しくはキーボードがあれば、それで充分。
画像、BingAI画像生成。

(©2023 HarunagaMutsuki This picture and text are protected by copyright.)

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