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告げられなかった御礼。

ことばと広告さんの「みんなで書こう企画」 #みんなで書く部  お題 #あの日言えなかった言葉  参ります。



別れが、例えるならばついえる蝋燭の最後の炎のように、一瞬燃え上がってからふっと消えてしまう、そんな形で霧散することが、歳を経る毎に増えていく気がここ10年ほどしている。

あれは、2020年前後だっただろうか。年賀状の季節の少し前、師走のはじめに一枚の喪中欠礼が葉書にて届いた。中学校一年生の頃からの付き合いになる、旧友で親友とも呼べる人の母上が亡くなったと、その葉書には記されていた。ああ、あの方はもういないのか。もう一度お礼を伝えたかったのに。私は静かにその葉書の文面を見つめながら思った。

友人の父上は転勤の多い職業に就かれていた。自然、友も転居転校が多かった。お母様は控え目な方で心配りが細やか、いつも柔らかい笑顔を絶やさぬ、素敵な女性だった。友の自宅にお邪魔したのは数回であったが、「娘と仲良くしてくださってありがとう」とお言葉を頂戴したことを、今でも覚えている。

時が流れ、友が結婚するとき、私は友人代表スピーチをすることになった。私では役者不足なのだが、旦那様が学者で参列客・来賓がお歴々なため同僚には頼めないのだ、あなたなら(文芸活動の関係で)経験があるから、大変だろうけれどお願いできないか?そうした申し出の元、荷に余るお役を引き受けたのだった。

スピーチで何を語るか。背伸びしたところでお里が知れる。来賓、新郎友人代表と続き、私の出番は最後である。知人の司会業の人に相談すると「短い方がいいよ、皆さんきっと食指気味だから」とシビアだが適切な助言をもらった。時間は3分もあれば充分らしい。3分なら余計な文言で失礼にあたることもないだろう。そう思い、次のような言葉を述べた。

新婦Yさんは、私のような変わり者と長く友人として交流してくださる、とても心の広い素敵な女性です。その方が選び、選ばれた新郎のMさんが素晴らしい方であることは、わたくしが申し上げるまでもございません。
お二人が比翼の鳥と連理の枝のと言葉通りに素晴らしい家庭を築かれ、幸せな時間を過ごされることを確信して止みません。
この度は、本当におめでとうございました。

おおよそ上記の言葉をスピーチして、私の役目は終わった。披露宴が終わり、ご両家の皆様と新郎新婦が参列客を見送る。私も退出しようとし、ご両家の皆様に型通りのご挨拶をした。その時に、花が綻ぶような笑顔で、友人のお母様が私にお礼の言葉を告げた。
「本当にありがとうございます。素晴らしいお言葉で感激しました。...…睦月さん(実際には本名)、ありがとうね」

その美しい笑顔に、私も笑顔を浮かべ御礼を告げた。また遊びに伺います、と。

そして、それが友人の母上との今生最後の会話となった。


いつか、そのうちに。
その言葉で流してしまい、失念してしまうことは、雑事に忙殺される日々の中で毎日のように起きていく。だが、この訃報に接したときほど、あのあとどうして「お世話になりました、ありがとうございました」と、改めて御礼を告げることをしなかったのかと後悔したことはない。

悔恨を続けたとて、戻らぬものは戻せない。その思いを胸に秘め、私は友人にお見舞いの手紙を送った。今は列島の中央と北端に分かれるもの同士として。



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