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無理をしている人の横では休息が取れない。


1.はじめに

#仕事のポリシー 企画に参加します。まずは参考としたWeb記事を。

上記記事は登録しなければ全文が読めないのですが、参考になるWeb記事なため、リンクを張りました。以下、記事の一部を引用します。

高畑: 「君が頑張って、残業して朝まで仕事したって、従業員を幸せにすることはできない。むしろ、苦しめている。あなた自身が、そういう環境を作っているんだ」と。

経営側の人間である僕の本当にすべきことは、自分が現場で誰よりも働くことではなく、従業員が夜中まで働かなくてもいい仕組みを作ること。しかし、 僕は自分が誰よりも働くことで “従業員を守っているつもり”になっていただけだった んです。むしろ、上の人がそれだけ働いているのを見たら、従業員も「もっと働かないと…」と思ってしまう可能性も高い。

つまり、 従業員が楽になるどころか、苦しくなる環境すら作ってしまっていた… そのことを指摘されて、頭をガツンと打たれたような気持ちになりました。

「君がそんなだから社員が幸せになれない」強烈な叱責で目が覚めた。
稲盛和夫氏の教えが企業変革の礎に
BizHint 編集部
2023年6月27日(火)掲載

悪意、それも恣意的に行われたことであれば、それを非難したり止めることができるでしょう。しかしながら、あくまで努力と善意に基づいて「やりすぎて」いることを、従業員は止めることができない。止めることができず、同じ道を歩く。その結果、共倒れしてしまう。そういう危うさを高畑洋輔さんは抱えておられた。それを京セラ創業者・稲盛和夫さんは叱責をもって教え導いてくださった。そういうことだと、記事を読んで思いました。

参考にした記事は他の事例も含め「社長が考えていること」という企画となり纏まっています。


2.完璧主義という落とし穴を避けるために

私は転職組という類の社会人であるため(現在はフリーランスで市場調査関連の業務請負をしております)、部下を持ったことはないのですが、組織所属時代に先輩上司から教わり、今も心がけていることがあります。
それは「何事もやりすぎない、六割程度でよしとせよ」。別の表現を採るならば、完璧主義に陥るなかれ、ということです。

公務員時代、民間企業所属時代。後輩を指導する際に心がけたことは「待つこと」。手掛けた業務はその本人の仕事であり、私の仕事ではない。自分のペース配分等を押し付けることになりかねぬ中途半端な手出し口出しをせず、仕事の進捗を見守りながら、後輩が余裕をなくさぬように配慮、必要に応じて時には厳しいアドバイスをする。最後の最後は自分がリカバリーする準備を整えつつ、ひたすら待ちの姿勢を貫く。全てできていたわけではなく、私も未熟であるため、老婆心が先走ることも多々ありましたが、そういう姿勢をなくさぬように後輩と共に業務を推進してきました。

当時、後輩とのやりとりで記憶に残っている一シーンを綴ってみます。


後輩:あの!どうして、そんなに余裕なんですか?!こっちはこんなにテンパってるのに。Hさんを見てると腹が立ってきます!!

私:……Cさん。他に言いたいこと、ある?私に。

後輩:え……?

私:ないみたいだね。少し落ち着いたかな?

このやりとりの後、私に頷いた彼女を促し、私は仕事場を離れ休憩に入ることにしました。当時の仕事は輸入雑貨の仕入れ販売。働いていた職場はショップだったので、他のメンバーに「ゴメン、Cさんと私、休憩入るね。30分、お願いできるかな?」と頼むと「了解です。もっとゆっくりしてきてくださいよ」と笑顔が返ってきました。

仕事場を離れ、近くのカフェに2人で入りました。何を頼んだかは細かく覚えていないのですが、コーヒーと軽いデザートを頼んだ記憶があります。

後輩:……あの、Hさん……

私:うん。あのね。美味しい?コーヒーとケーキ。

後輩:はい。美味しいです。

私:なら良かった。大変だったのは分かっているよ。でもね。私たちの職場は常にオープンスペース。かならずお客様が見ている。お客様の楽しいお買い物をお手伝いするために、私たちは働いているの。それを忘れないでね。

彼女の眼を見つめながら、務めて穏やかに話しかけたつもりです。後輩も微かな笑顔を浮かべ、頷いてくれました。


このときの対応が正しかったか否かは今も分かりません。努力していた後輩に落ち度があったわけでなく、冷静さを欠いていたのが売り場に立つに相応しからぬ状態であっただけ。彼女の許容量、そのリミットを見抜けず、その状況に陥らせた一因は私にあったのかもしれない。当時も今も、顧みつつ思うのです。

そして、フリーランスとなった今。
私はミドルと呼ばれる世代からも少し過ぎた初老と呼べる年代で、年老いた両親と同居中。仕事と両立して家事労働もする兼業主婦のような生活を送っています。
フリーランスは全てを自分で判断し行わなくてはなりません。まず第一に考えるべきことは「抱えすぎない」ことだと思っています。自分が倒れればクライアントに多大な迷惑を掛け、自分の家庭は成り立たなくなる。ましてや、もう決して若くはなく、肉体精神共に無理の利く時期は過ぎている。
仕事のためにするべき調査、準備に掛かる諸般は途切れることがありません(あれば失業してしまいますが(苦笑)ですから、休息休憩は、自分で判断して随時取らなくてはいけない。それも仕事の内だと思っています。
大切なのは自分の許容量を把握し、手掛けたことを貫徹するために業務計画を立てる、ということ。それも無理なく腹六分目のペース配分で。言葉を加えるなら自分の能力を客観的に判断し自己査定する、己の器以上の仕事量を抱えない。当たり前すぎることですが、それが日々、心がけていることです。


3.業務以外の視点~エピローグの代わりに

家庭内の雑事は取り立ててnoteの記事するまでもなく「愉快なサザエさん」(笑)状態で日々を過ごしております。こんな記事を見つけましたので以下に貼ります。

無理は誰も幸福にはしない。時には不幸にしてしまう。犠牲になっていい人など誰もいないのですから。勿論、自分自身を含め。研鑽も腹六分目で参りましょう。いい加減は好い(良い)加減。私は日々、自分にそう言い聞かせています。……怠け癖の言い訳なのかもしれませんが(笑)

さて。業務と家事労働のTo Doを確認するために「noteを離席」します。何事もやりすぎはよくありませんね。勿論、noteの記事を書くことも。
等、ここまでお目通しいただきありがとうございました。


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