突然の大金の使い道を決め兼ねている自分について考えてみた結果、自己期待度が低いことに気づいた27歳の秋

給付金の10万円が交付されて、数ヶ月経った。
何に使うべきか悩み続けていて、どうしてこうも決めかねているのだろうかと考えたところ、どうも自己期待度が低そうだ、ということに気づいた。

自己期待度は、私が勝手にいま思いついた言葉。言葉の通り自分へ期待している度合いのこと。

自己肯定感や自己有用感と並んで、自己期待度は使えそうな言葉だ。

本と文字が好きなので、周りの同世代と比べると、おそらく書籍への投資は多い方だと思う。
いわゆるビジネス書と呼ばれる本も多く手にするが、成長意欲よりも分野への関心や知的好奇心が高く、知りたい欲求によるものが大きい。

なにかすごいことを成し遂げたいとか、大きなスキルが発揮できるとか、そんなことは思っていないし、大した人間でもないことは百も承知なのだが、それにしても、自己投資の仕方があまりにもわがままなのだ。
自分の成長よりも、知的好奇心や興味関心での投資ばかりをしてしまう。

そのわがままの裏側には、おそらく、自分に投資してもあまり自己成長させられないのではないか、という自己期待度の低さがあるように思う。
「他者に対して怒らないのは、自他分離がはっきりしていて、期待を抱かないから。」というのは自覚していたが、おそらく自己期待度の低さを周囲にも反映しているのかもしれない。

だから、この大金の使い道が決められないのだ。
悩んだ結果、周囲の人に相談をした。自分の自己投資に使ったという話や、今まで買えなかった大きな買い物をしたという話を聞いた。
私は自分の何に投資をすればいいのだろうか。

やりたいことや、学びたいことはたくさんあって、いいなと思うことはたくさんある。でも、自分にその価値が今あるのかをたくさん考えてしまう。
そんなの、やってみないとわからないよなと思うこともあるが、お金の価値と経験の価値が正当に扱えていないのかもしれない。

「経験をものにする」のに昔から時間もかかるので、いつまでもいつまでも、もっと成長してから・・・と思ってしまうのかもしれない。
経験がものになるのに時間はかかるから、経験をすることにお金を投資するという感覚にアップデートしていかないと、経験貧乏になるような気もしてきた。

どうにか、いい自己投資と社会投資ができるように、ちょっと腰を据えて考えていきたい。

そんなことを考える社会人5年目の秋の夜長。

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