黒歴史の成仏させ方
どうも、こんにちは。
皆さんは思い出すとのたうちまわりたくなるような失敗経験はありますか?
私は、たくさんあります(笑
そういう経験は、袋に包んで頑丈な箱に入れて
心の奥底にそっとしまって永遠に出てこないように鍵をかけているのですが
ふとした瞬間に顔を出して「んああああ」となります。
だけどここ半年でその黒歴史たちが成仏しはじめまして
そして最近、言語化してくれる言葉にも出会えたので
今日はそのことを書いていこうと思います。
成仏した私の黒歴史
大学3年生の時、半年間かけて作り上げた学生生活最後の舞台を、私が台無しにしてしまったことがありました。
あまりにも申し訳なく、まごうことなく私が悪く、その時の写真も見返せないくらいには、誰にも触れられたくない失敗経験でした。
友達との会話の中でも触れないようにしていたし
できるだけ思い出さないようにしていたこの黒歴史を
半年ほど前、漫画にしました。
もちろんど素人なので、ど素人なりに描いたイラスト付きのエッセイを
SNSでこじんまりと発信していたわけですが、
当時の私からしたら正気の沙汰ではありません。
ビクビクしながら投稿してみて、びっくりしました。
読んでくれた人たちが、こんな風に言ってくれたんです。
「自分の失敗話に、共感してくれる人もいるんだ・・」
一度出してみて意外に受け入れられることを知った私は
自分の失敗談として、この話を口に出せるようになりました。
そしたらね、こんなしょうもない私の話を聞いて
「勇気が出た」
と言ってくれる人が出て来たんです。
この話で勇気が出てくれる人もいるなんて・・
そう思ったら、私のこの大失敗は
触れられたくない黒歴史から、人を元気付けられる話へと姿を変え
スッと成仏していったのです。
強烈な黒歴史には強烈な教訓がある
最近週一で朝読書をしている営業くんから
「7つの習慣は完訳版を読むべし!」
と言われて読んでいます。
なるほど。確かに。
概念としては知っていたけれど、要約や動画では飛ばされていた素敵な言葉や例にたくさん出会うことができました。
その中でも、自分がなぜ黒歴史を処すことができたのか、ヒントになりそうな言葉を2つ紹介します。
1つ目はこちら。
間違いをすぐに認めてただし、そこから教訓を学ぶ。だから失敗が成功につながる。
しかし過ちを認めず、行動を正さず、そこから何も学ぼうとしなければ、失敗はまったく異なる様相を帯びてくる。
思えば、自分が今得意になっているものは、過去に苦境に立たされたものばかりな気がします。
短距離走で、陸上部の助っ人に選ばれたことがあります。
運動が苦手なのにバレー部に入部してしまい、周回遅れのランニングを毎日続けたんです。
人と仲良くなるのが上手いと言われます。
一人も友達がいない時期にたくさん試行錯誤したんです。
「柔軟だよね」と言われることがあります。
学生生活最後の舞台を台無しにした後、「支配してたよね」と言われたからです。
その時その時は、正直めちゃくちゃ苦しかった。
人格を否定されることもあったし、自分も自分が大嫌いだった。
だけど、少しでもこの苦しみから解放されるために、なんとか学ぼうと、今よりましな人間になろうともがき苦しんだ結果、少しだけ自分が好きな人間に近付けたような気がします。
苦しい経験はそれだけで価値があるらしい
もうひとつ、いいなと思えた言葉はこれです。
苦しみや過酷な身の上を克服した人の生き方ほど
心の琴線に触れるものはない
映画やドキュメンタリーを思い出してみると
どのストーリーも、主人公は大変な苦境に晒されています。
人間は、他人の自慢話は嫌いだけど
挫折を乗り越えた話はお金を出してでも聞きたいと思うらしいのです。
つまり、たとえ本当に苦しかっただけで、今スキルに結びついていないとしても、その苦しみを乗り越えて生きている人の話というのは、お金を出してでも聞きたいと思うくらい価値があるもの、かもしれないということですね。
確かに、相手が苦しんだ経験を持っている、悩みを持っていると思うと
自分の悩みも打ち明けやすくなります。
逆に、悩んだことがない人のアドバイスは、謎にペラペラに聞こえてしまう。
そう考えると、自分の経験は苦しかっただけという場合でも、その経験をしたという事実が、大変な財産になるのではないかと思いました。
ということで、のたうちまわりたくなるような黒歴史をお持ちの方。
もしかしたら、とんでもなく素敵な経験をされたのかもしれません。
この2つをぜひ念頭において、ぜひ触れられないかとビクビクしている黒歴史を成仏させてあげてください。
それでは!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?