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旅が私を強くする #旅と私

私にとっての旅は「未知との遭遇」である。そして、その経験によって強くなる。

最初に親から離れて旅をしたのは小学校2年生。
弟が生まれたこともあり、私と妹は1ヶ月ほど長野の祖父の家にお世話になることになった。

妹はまだ幼稚園の年長だったと思う。何かの間違いがあってはいけない、到着まで妹の機嫌を損ねてはいけない、などと、とても緊張したのを覚えている。

上野から特急「あさま」に乗車した。
長野新幹線の構想はあったのかもしれないが、まだまだ開通は遠い未来。何回か長野まで電車で行ったこともあり、どんな駅を通るかは覚えていた。
そして、我が家はいつも横川で峠の釜飯を買うことも。

となりの席にとある家族が座った。
お父さん、お母さん、そして私よりも年下の子だったのではないだろうか。
私たち子供二人で乗っているのが少し不安に感じたのか、いろいろ気を遣っていただいたことを覚えている。その家族と連絡先を交換したのだろう、その後少しだけ手紙で交流があったと思う。
無事に長野駅まで到着し、ほっとしたと同時に、やり遂げたという達成感が大きくなった。ひとりでも国内は旅行ができる、そう自信が付いた瞬間だった。

今はもう何でもgoogle先生が教えてくれるけど、小学生の自分にとってはあの時は人に聞くことが唯一の情報手段だった。
今は外国に行っても、SIMカードで日本と同じ情報が手に入るし、言葉も翻訳機で不自由が少なくなった。

22歳の時に初めてひとりで海外に行った。イギリスのチェルトナムという街への短期留学。本当はアメリカが良かったけど、ビザと治安の関係でこの街を選んだ。イギリスはあまり好きじゃなかった。ちょっと冷たくて、気取ってる感じと、曇りが多くて陰気な気がしたからだ。
実際行ってみて、第二の故郷になるくらい好きになった。フレンドリーなひとたち、沢山の自然、穏やかな街並み。
学校は日本人は少なくて、少しだけ英語が出来たから、スペイン人、チェコ人、台湾人と同じクラスになった。当時は写メールなんてヨーロッパになくて、eメールが打てる携帯もなかった。日本の携帯電話は最先端を行っていてカッコいい。少しだけ日本人であることに誇りを覚えていた。だけど、もちろんグローバルローミングの通信はできない。同じボーダフォンなのにな、と思ったものだ。

ここで出会ったひとりの日本人の友達がいた。その子は会社の研修で来ていて、帰ったらTOEIC800点を取らなきゃって笑っていた。その子との出会いで、私は大きく変わった。自分で自分の道をまっすぐ見つめるその友達を見て、こんな風に自分の道を歩きたい、とその子に出会ったから思えるようになった。それまで私は周りの人たちにとても恵まれていて、自分の実力以上のことをさせてもらっていたと思う。もちろんそこで気づかなければ、後で苦労したこともあると思う。それを差し引いても、私は誰かのレールの上に乗っかり、こうしたら周りは喜ぶからそれでいいだろう、と思ってた。自分の意思を選択する権利とか、自分で自分の道を掴み取る!みたいな気概もなかったと思う。

帰国して、3年間心に引っかかってたのに、行動に移せなかったことをした。その決断は、今も後悔はしていない。

旅は私を強くしてくれるもの。進化させてくれるもの。未知との遭遇、今風にいうとセレンディピティを求めて、今日も私は次の旅の計画を練る。

#旅と私 #旅行

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