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実家の片付けのこと②

実家の片付けは続いている。
着々と捨て、手放し、棚などを解体する。
手に取る度にハッとして、自分の手で処分するのが辛く、心にどしんと来る瞬間は相変わらず沢山あるけれど、上手く自分をいなしながら実家に寄る都度、地道に進めている。

そして先月、片付けの旅の第一段階の目標にしていた「いつぶりか分からないぶりにお雛様を飾る」を達成した。

本当にいつぶりだろう。
20数年ぶりかな。
流石の母の丁寧な収納で、20年以上出していないとは思えない、素晴らしい保存状態。
みんな綺麗。子供の頃の感動が蘇る。
自分が大人になって、もっと小さく感じるかな、なんて思っていたお雛様。
全然そんな事なかった。
今見ても大迫力だ。
ひとりひとりの表情、丁寧に作り込まれたお着物、小道具、美しい色彩。
ひとつひとつの繋ぎ目や、見えない所までも丁寧に作られたものが持つ圧倒的な説得力は、音楽も一緒だ。

そして先週末、雛祭りから随分と遅れてようやくお雛様を片付け、押し入れの中を整理した。
いらない布団を出して縛り、昔使っていたクッションやら枕やらを袋にまとめる。
さらに押し入れを掻き分ける中で、衝撃的なものが出てきた。母が引っ張り出した、しっかりと結ばれた謎の風呂敷を解くと、出てきたのは布おむつだった。母が「っ、、!!布おむつだ、、」と言った瞬間、時が止まった様な、時間が一気に遡ったような、不思議な時間が流れた。
私は何か喋らないと泣いてしまいそうで、反射的に「かわいい!柄がかわいいね!」と話しかけた。母は「昭和っぽくてね。、、でももう、いらないね。」と言うので、私も「そうだね。いらないね。」と答えて袋に入れた。

片付けを進める中で私の中に起こった変化は、実家のそれらを「ごみ」と呼ぶことに大きな抵抗が生まれたことだ。
「ごみ」と呼べなくなったので、「処分するもの」と呼ぶことにしている。
思い出と歴史の詰まった処分するものたちは、その役目を終えて少しずつ実家を去り、焼かれていく。
歳と共に、人生はなんて切なくて儚いんだろうという想いは積もりに積もり、自分が大切にしたいものに対してのあまりの時間の足りなさを恨む。
こんな日は涙で光が滲むので、光の多い下道を避けて高速を帰る。
常磐道、谷田部の合流車線を、色んな思いを振り切る様にぐんと加速して、東京に戻る。


沢山の想いを回収しながら、片付けの旅は続く。
私たち家族を1番側で見守り続けて来た、この家の歴史を駆け足で追いかけている。


【処分したものの重量累計約1,050kg】

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