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実家の片付けのこと①

今回は実家の片付けについての記録①だ。

私は実家を一切片付けないまま19歳で一人暮らしを始めた。そこから長年放置してきた荷物たちを片付けながら、色んな思いが心に去来した。


父が若くして購入した実家は築40年を超えている。私は一人暮らしをするまで引っ越しを経験した事がなく、私が生まれてからのもの、そして姉の荷物もしっかりと実家に残っていた。
とんでもない量と重量のそれらは、東日本大震災を経て大いに実家を痛めてきた。そしてそれに気付いていながら、長い間目を逸らし続けて来てしまった。

母はきっと、子供のものを捨てられないのだ。察するに、それは判断がつかないという理由だけではない。懐かしさと沢山の思い出が詰まり過ぎたそれらを手放す、という事から、出来れば私も目を背けたい気持ちだった。誰かがやる、と思い続けたかった。
しかし実家に於いて"誰かがやる"の"誰か"は、いつも同じ人、母なのだ。
それを知っていて逃げていたのも私だ。
いよいよ自分の手で処分しなければと覚悟を決めたのだった。

お片付けコンサルタントのこんまりさんが仰るように、いきなり思い出品に手を付けるのはハードルが高い。
考えた末、まずは精神的に割とライトで物理的に重量がある漫画や本や教科書から。
とにかく重量を減らす事が先決だった。本棚の片っ端から引っ張り出し、縛る、縛る。
1階のほぼ全てと2階の自分の勉強机周りだけで、重量は180kgを超えた。

かなり家が軽くなったと勢い付くも、コロナのお出ましである。
実家に帰れなくなった。

出来る限り電車に乗りたくない、しかし自分の車で帰ると東京のナンバープレートの車を実家の前に置く事になる。私の勝手で、父と母が白い目で見られるような事態は絶対に避けたかった。駅前の駐車場に置くことも考えたが、その頃県外ナンバーへの嫌がらせが至るところで横行していると知りあまり気も進まなかったし、何よりもし自分が感染者だとしたらと思うと到底帰る気にはなれなかった。


明けて2021年。
お正月に実家に帰ることも叶わず、まだまだ世の中的には移動が厳しい状況が続いていたが、2階が少し涼しくなる秋口に、片付けの日程を長く取る事を決める。
そして皆様にスケジュールのご協力を頂き10月に4日間のお休みを設けた。
母の意向を確認し、片付けの段取りを組む。

動線を確保しながら作業を進める。
懐かしい物がどんどん出てくる。
これで良く遊んだな、とか、この服はあの時に着せてもらったお気に入りだったな、とか、これ家族みんなで遊んで爆笑したな、とか、確かに見覚えのあるひとつひとつに心揺れながら、ゴミ袋に詰める、詰める。手に取りながらそれらを通して姉と私がいかに両親に愛されて来たか、多くは語らない両親の想いをひしひしと知る事になる。
片付けを進める中で、1番気が重かったのが2階の押し入れだ。私の小さい頃の服が仕舞われている場所である。意を決して小学生ぶりにその襖を開く。圧倒される服の量。崩して、捨てる。崩して、捨てる。服の山をかき分け、下に行けば行くほど今の私よりも若き日の母が畳んだであろう小さな小さな私の服が次々に出てくる。丁寧に洗濯されて畳まれたそれらを手に取りながらいよいよ涙が止まらなくなり、着ていたツナギの袖で涙を拭きながら、ひとつづつ大切に、自分の手で捨てた。

自分で自分を愛する事に大変な時間を要した私が、いかに浅はかで至らなかったか。
改めて家族や自分の存在について想いを巡らせる時間になっている。

実家の片付けは、父と母がどうやって家を、家族を支えて来たのか、自分たちがどれだけ愛されて来たか、家族の記憶を辿る旅だ。
本当に苦しく切ないけれど、自分の手で片付けて、自分の手で処分する事を選んで良かったと思う。

片付けの旅はまだまだ続く。


【処分したものの重量累計約400kg】

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