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考えざるを得なかった

今夜先ほど、仕事から戻るバスの中で、Twitterを見たら西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』のことが朝日新聞の夕刊に出ているという話を見つけた。もちろん新刊ではなく、18年前の本だ。

せっかく知ったので、バスを降りて電車に乗り換える駅でその夕刊を買い、ホームで読んだ。

1面を開いて2〜3面を見たら右端に谷川俊太郎さんの笑顔の小さな写真と詩があり、左側にはどーんと笑顔の西村さんがいる。笑顔×2でちょっと不気味な感じがしないでもないけど、私はふたりの本に(それぞれ)影響を受けたひとりで、(それぞれ)ちょっと話したこともあり、やあ、という感じだ。偉そう? ひとりでぶつぶつ言ってるだけです。

とはいえ、今日は西村さんの本の話を。

『自分の仕事をつくる』が2003年に出版された頃には全く知らず、出会わず、出会ったのは2009年の秋、再就職した会社が合わずに辞めようとしていた頃だ。前職は会社の状況から辞めたが、今度は違う。とはいえ入社初日の朝礼で強烈な直観(違和感というか)があり「あ、ここはダメだ!」と思ったのに、頑張って8ヶ月も勤めた。頑張って再就職したのに1日で辞めるのでは自分が許せなかったからだ。何とか頑張って(いまなら「頑張って」を「無理して」と言える)やっていた夏、久しぶりに吃音の調子が悪くなり、喉が詰まったようになり、それまでの人生でかつてないほど話せなくなった。これはまずい、と思った。記者と偽った営業マンだったので、口がたたないほどまずいことはない。某業界新聞社だったが、まずは部数を偽っていた(発表している部数は実際の百倍というところだろうか)。いま思えば、自分はとことん嫌だったのだ。あの場所で、あの仕事をして人生を過ごすくらいなら死んだ方がマシだ、と。経営者は70代だった。新入社員としてお客さんのところにゆくと、ひどい場合、「君はまだ若いし、そんなところにいるべきじゃないよ」と言われたりした。

それで、いよいよ辞めようという頃、書店でぶらぶらしていたら、『自分の仕事をつくる』に出会った。文庫化はまだされていなかった。新聞記事によるとその年に文庫化されていたようだけれど、その年の秋に自分が買った『自分の仕事をつくる』は晶文社版で、文庫化は少し後だったような気がする。──いや、こちらの記憶が間違っていて、『自分の仕事をつくる』に出会ったのはもっと前だったのかもしれない。その秋、会社勤めを最後に止める少し前に、翌年1月に奈良で開催される「自分の「仕事」を考える3日間」に申し込んだのだったから。前に読んでいた『自分の仕事をつくる』が、その頃、いよいよシリアスな自分の問題になったのかもしれない。

「自分の「仕事」を考える3日間」はその1年後、3・11前の2011年1月にも行われて、2年連続で参加したら、1年前に会った人たちとの再会があった。そのひとりから言われたことばを印象深く覚えている。

「下窪さんの話は印象深かった。だって、自分は「自分の仕事」を考えたくて参加していたけど、下窪さんは考えざるを得なくて来ているんだもの!」

西村さんもそんな人を想定していたわけではなかったかもしれない。どちらかと言えば、いま坂口恭平さんがやっている「いのっちの電話」に近いのかもしれなくて、それと違うのは自分がそういうのに頼らず自分用の「いのっちの電話」を勝手に想定してかけた(働きかけた)ということだろう。

その坂口さんのことも2011年の「自分の「仕事」を考える3日間」で初めて知った。「いのっちの電話」はまだ始めていなくて、生きてゆくための方法を無料で教える「ゼロ塾」をやろうと思うんだという話をしていた(その時の話も『わたしのはたらき』という本の中に出てくる)。

今度の『アフリカ』に「珈琲を淹れる」という文章を書いたのだけど、2011年の年末に書いていたブログが元になっている。『わたしのはたらき』が出版されて、読もうとしているんだけど涙が出てきてなかなか読み進められない、という日が、その中に出てくる。

(つづく)


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