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祈りのために

何も書けない。何も書けないから、とりあえず書き始める。これまでも、いつだってぼくはそうだった。何も書けないな、と思う。それは、それでいい。

ぼくは、饒舌になるはずのところで、いつも、無口になってしまう。──と言いながら書く。

今回のことで(いま、これを読む人なら誰でもわかること)、これまで約8年間、うちの生計を支えてきた仕事が、脆くも崩れ去ろうとしている。障害のある人が、街中で過ごす際の"支え"となる仕事だが(「「外出」という仕事」というエッセイでそのことを書いた、こんどつくる本に載る予定だ)、そもそも街へ出ることが困難になれば、われわれの仕事は不要になる。

今回のことは、首相が言うように1ヶ月で終わって、「さぁまた元通りの暮らしをしましょう」というわけにはゆかないだろう。このままでゆくと、おそらく、元通りの暮らしに戻る前に、倒れてしまうだろう。

しかし、どうか、家族が、友人たちが、親しくしている人たち、仕事でかかわりのある人たち、これまで出会ってきた人たち、『アフリカ』を読んでいる人たち、いま、たまたまこれを読んでいる人たちが、とにかく無事で、生きてゆけますように、とぼくは祈る。心配するな、と言われても心配はする。してしまうんだから、どうか、させておいてほしい。

──いま、祈りの中に自分のことが入っていなかった。自分は、どうなるかわからない。死んでも、本が1冊は残ります。最後まで自分でつくれなくても、信頼できる人たちに(ちょっぴり未完成ではあるけれど)データを送っておいたから、彼らの技術でやればつくれる。そのためにも彼らには生きて元気でいてもらわなければ困る。と、何だか祈る時は、どうしても自分のことより、他人のことを考えてしまうようだ。少なくとも自分の場合は。

10年前、会社勤めはやめた、それまで培ってきた縁(地方、土地)からも思い切って離れる、と決めて大阪から府中へビューンと移動した時、誰もその意味を理解している人はいなかった。自分でさえも! だ。そのことに意味があるとしたら、それはある程度、時間がたたなければわからないことだった。10年後のいま、その移動がぼくの人生にもたらした意味を、疑ってみる人はいないだろう。

10年前、ぼくが目指したことは「死なないでいよう」だった。死ななければ、その先があるのだから。

昨年(2019年)の後半、ぼくの2020年は、再び自分の仕事を、再検討して、変えてゆく時になるだろうと予感していた。しかしまさか、こんなかたちで、一気に、変えざるをえない状況に陥るとは予想していなかった。そんな準備は、できていない。というより、こういう場合、いつも準備はできておらず、ふいに始めなければならなくなってしまう。

「書くことは祈りの一形態だ」とカフカは言った。そのことばが、どの本の、どこに書いてあったのかわからないが、10年前のぼくのノートに、書き写されていたので覚えている。

祈るとき、ぼくはたいてい、ことばをなくしている。書いているのに、ことばをなくしていることもある。書いているのはことばではないのか。ことば以外のものを書いていると感じることがある。

これじゃ暮らしてゆけないね。ダメだこりゃ。──とわかったら、気が楽になった。さぁ、また始めよう。どんな手からうってゆこうか。

(つづく)

あの大陸とは“あまり”関係がない道草の家のプライベート・プレス『アフリカ』。読む人ひとりひとりの傍にいて、ボソボソ語りかけてくれるような雑誌です(たぶん)。その最新号(vol.30/2020年2月号)、ぼちぼち販売中。


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