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そのことばを伏せて書いてみよう

最近は(このnoteに何か書いてアップすると)それについて書いていないのに、それにかんする注意書きが出てしまう。先週は古井由吉の短編小説「水」の思い出を書いたのに、お知らせコーナー(?)にその"用語"が一度出てきてしまい、結局、その注意書きがついてしまった。それについては書いてねぇっつーの!(なんて言っていてもしょうがないが)

何のことはない。その固有名詞を出すからだ。システムは文章を読んで注意書きをつけているのではない(文字通り「機械的に」つけている)。ということは、嫌なら、そのことばを書かなければいい。そのことば以外のことばにも反応するかもしれないね。たとえば、いま書いている「注意書き」はどうか(さすがにそれには反応しないか)。

たとえば今週末にやる予定の「オトナのための文章教室」(in 横浜)では、「音」が主役になるはずなのだが、「音」という字を一度も使っていないのに、音が聴こえてくるような文章を書くことはできるはずだ。むしろ「音」と書きすぎると、肝心の音が聴こえにくくなるということもないか… ということはまぁ考えられなくもない。(※参加予定の皆さまへ、そんなことは意識しないでいいので自由に書いてくださいネ)

だからそれについて書くのでも、その名を書かなくてもそれを書くことはできる。いまは「それ」「それ」「それ」と書いているが、本当は「それ」とも言いたくないのだ。しかしそれではあまりにも不親切なので、というか、この状況では「それがそれでそうなって、それじゃなくて…」と書くのが何となく可笑しいのであえてそう書いている。

先週は月曜を道草の家で過ごして、火曜から再び道草支援の仕事に出たが、街にも、電車にも、人数が戻ってきているような印象があり、ハッとした。

なぜ? みんなどうしたの? と。だって、まだまだ、これからどうなるのかわからない、たいへんに不安な状況ではないか。なのに、どうして?

そうなると、あまり都心には向かいたくなくなるもので──我々はどこへ行ってもいいという任務で動いているのだから(大げさな言い方ね)──先週は拠点である大田区周辺をメインに動いた。

それにしても、今回の問題は社会全体でどうするか? という問題なのだから、決めて、すぐにでも動かなければならない。のにもかかわらず、日本人というのは主体性がないというのか、鈍感力が高すぎるというのか、何なんでしょうね? また、為政者がバカ(あるいは悪人)なのも、国民がバカ(あるいは悪人)だからなのではないか。ということは自分もそうだということか…

それがひろがって大変な事態になっている国を見ていると、それにかかった(ことが判明した)人の数はある時を境にグッと持ち上がっている。日本でこれからそれが起こらないという保障はどこにもなく、たいへん不安です。

昨日、毎週のように山下達郎さんのラジオ「サンデー・ソングブック」を聴いていたら、京都大学の山中教授が個人的に作成しているウェブサイトが信用できる、という話を達郎さんがしていた。さっそく見るようにしている。今回のことは、何が正しくて、何が間違いで、何がよくわかってないのか、ということが流れてくる情報の中で混沌としているという問題もあるのだが、このウェブサイトではそのへんもわかりやすく整理されている。これをお読みになった方も、ご存知なければぜひご覧になってみてください。リンクを貼ります。──と思いましたが、貼ってしまうとそれの名前が出てきてしまう。「リンクを貼ります」と書いた「リンク」の字にリンクを貼ります(ややこしい)。

ずっと家にいられる日は、先週は1日しかなかったが、半日でもいられると、ぐわ〜っと春に覆われてきたのを感じる。

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これは玄関先。私たちは植えてません。住み始めた時にはすでにそこにいて、毎年咲いているのだ。先住民?

ぼくはここに住み始めてから、家にいると、草木がいまどんな様子かとか、猫たちがどんなふうに過ごしているかとか、いろいろ感じられて、それを感じている自分も生きている感じに戻れるから助かっている。

この家に住み始めてから(それからもう8年がたったが)夜、眠れなくて困ることがほとんどなくなった。そのことも、たまに思い出す。ここに住む前は、だいたい夜は電気を消してもすぐには眠れなかった。

『アフリカ』のvol.15(2012年7月号)の編集後記で、ぼくは「個人的な話になるけれど…」と言い添えてこの家のことを書いている。

この家、何というか「気」が良くて、不思議なくらい住みやすい。住んでいる夫婦と相性がいいんだ、と言う人もいる。

家も、大切な暮らしのパートナーなんだろう。

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この季節になると、我が家に限らず、この一帯にはハナニラがぶわ〜っと湧き出してきてたいへんな賑わいだ。へたするとコンクリートの隙間からも出てくる。すばらしい生命力!

ここにいると、静かで、それの問題がどこか遠い世界のことみたいに感じられる。しかし実際にはもうすぐ身近にある。自分だって、もうそれを〈もって〉いるかもしれないのだ。

さ、ここまで、それの名前を一度も出さなかったぞ! コの字も出してない?(そのはずなのですが)

それ以外に怪しいことばが見つかったので、いま慌てて修正したところです。さぁ、どうでしょう?(もしこれでも注意書きが出たら【追記】を書きます)

(つづく)

あの大陸とは“あまり”関係がない道草の家のプライベート・プレス『アフリカ』。読む人ひとりひとりの傍にいて、ボソボソ語りかけてくれるような雑誌です(たぶん)。その最新号(vol.30/2020年2月号)、ぼちぼち販売中。


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