安心して仕事できる場
昨日のつづき(毎日、「つづく」なんですけどね)。
近しい誰かが文学賞をとったら嬉しいしお祝いを言ったりお知らせしたりもするが、ぼくは普段は賞というものに全く興味がない。賞をとったからといってその作品を買って読もうという気にもほとんどならない。こういう人(自分のことです)は本来、賞と無縁のはずである。
しかし欲しがってる人にはどんどんあげるべきであるという考え方をしている。
賞金には惹かれなくもないが(貧乏だからね)、それが欲しくて賞を狙うのはちょっと面倒すぎることである。もっと手っ取り早くて稼げる方法はあるから? というか貧乏な人は目の前のことで必死なので、そんなことを考えている暇がない。
『アフリカ』はそういう人がやっている雑誌なので、その中に賞をとる人が出るとは思っていなかった。だからたいへん驚いているのです(昨日も書いたけれど嬉しいです)。
ちょっと心配もしていた。『アフリカ』に参加しているから、賞がとれないのだ、という心配を。
だから、ホッとしていると言うのが正しい。やっぱり、そういうこと(毛色の違う雑誌を活動拠点としているから?)は関係ないのだ、と。
これはおそらくぼくの被害妄想で…
そんなに『アフリカ』に自信がないのか? と言われると、いや、自信はあるのだが、『アフリカ』は当初、その手の人びとから「ちいさくまとまっちゃったね」とか「なんでアフリカなんだ?」とかと言われた雑誌だから。
いや、もうなんでもいいですよ? と。そもそもそっちの方を向いてやってないのである。
当初の予想に反して、13年後のいまも『アフリカ』は健在で、いや、健在どころか、あの頃より遥かに元気でやってます(元々すごく元気なかったから余計にそう感じられる)。
その頃、まわりにあったものはもう何も見えない(少なくともぼくの視界には入っていない)。
ひとりで走ってる。
いや、懲りもせずてくてく歩いてるという感じだ。
だから、まぁよくわからないのだろう。最近も、『アフリカ』は文芸の雑誌なんですね? と言われて、そうですね、と答えると、書いている人から「え?」と言われる始末で、つまり、みんなよくわかってない。
毛色が違うどころか、ジャンルが違っているのだったりして。
ぼくだってわからない。──新しいことをやるときには、それが何なのか、わからないのは当然のことだ。
"文学"が、単なる伝統芸能みたいになっているとしたら、ぼくはもうあまり興味がないのである(そうは思ってないからね)。
あれもこれも、後々になれば、わかることが出てくる。しかし、そんなことは後々になって言えばよろしい。
ぼくは誰よりも自分のことを評価しているし、誰よりも『アフリカ』のことを、そして『アフリカ』に書いている人たちの仕事を評価している。
これを外に向けると、虚しい叫びになるのかもしれない。でも、外とはどこだ? もう関係ないところまで来てるのだから。
だから、安心して、次の仕事に向かおう。もっともっと仕事しようぜ、とぼくは思ってる。
(つづく)
日常を旅する謎の雑誌『アフリカ』最新号は、継続してちょこまかと販売中。ご連絡いただければ郵送で直接、びよーんとお届けすることもできますので、遠慮なくどうぞ。「どんな雑誌なの?」ということにかんしては…
をご覧ください。
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、9月22日。「ファーストインプレッション」の話。
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