見出し画像

ウェブマガジン「水牛」のこと

毎月1日に更新されるウェブマガジン「水牛」を、10年近く愛読しています。編集者の八巻美恵さんが手がけているもので、バックナンバーを探すと、2004年くらいまで遡れる。毎月、八巻さんのTwitterで更新が知らされて、あ、今月も! と思って見にゆく。そしていつも、まずは「水牛だより」から読む。

その「水牛」、6月号の冒頭に藤井貞和さんの「小声の語法」という文章があって、引き込まれた。そのことをTwitterで書いたら、八巻さんから「気が向いたら、水牛にも書いてください」と声がかかったのでちょっとびっくりしたけれど、ああ、ここはなりゆきの風に乗れということだ(じつは個人的に、春からあまりいい感じの流れが来ていなかったから)、と翌月から書かせてもらおうということにした。

せっかくなら、ぜひ毎月書かせてもらおう。「水牛」を読む人で自分のことを知っている人は殆どいないだろうし、毎月、良い時も悪い時もあるだろうけれどいろいろ書いて読んでもらう方がいい。さあ何を書こう? と6月は時々そのことを考えて過ごした。

毎朝、書いている自分だけの場所「朝のページ」には良さそうなアイデアが出たり入ったりしていたのだが、ある日、でもさ、毎月〆切が来るのだからね、このことなら幾らでも書けるということじゃないとね? と問いかける声が聞こえてきた。

その時、あっ、そうか、『アフリカ』のことを書けばいいんだ、と思った。

もっと言うと、『アフリカ』のような雑誌というか、ミニコミというか、何でもいいんだけど、自分の書いたものをどうするかではなくて、いろんな人が入ってきて書いている"個人的な雑誌"をやっていることについて、書こうと思ったら幾らでもネタは尽きないのではないかと思った。

そう思って、あちこち見ていたら、昨年の大晦日に「「水牛」を続けて」と題して八巻さんが書いているブログが出てきた。いや、実際にはその文章は今年の初め頃に読んでいて、どんなことが書かれていたっけ? と再読しに行ったのだ。それを読んで、よし、自分にとっては(いわば)大先輩である「水牛」へ敬意を表して(?)「『アフリカ』を続けて」にしよう、と決めた。

その初回は、「水牛」の前身(?)である『水牛通信』を見かけたことがあったという話から始めた。いつかその『水牛通信』にもじっくり寄れたら良いのですが…

 *

1ヶ月前に「水牛だより」で、タイ語の翻訳家・荘司和子さんがお亡くなりになっていたことを知って、「水牛」のアーカイブにある庄司さんの翻訳をぼちぼち読んだ。ついでに、この機会に、と思って、2012年に出た『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』(八巻恵美編/サウダーヂ・ブックス)を買い求めて読んでいる。もう何回、くり返し読んだかわからないが、なかなか読み終えることができない。

画像1

ことばを置くことが、生きることになっている。ふたりの詩人にまつわる八巻さんのエッセイ「今日という昔」には、ことばが「通じにくいもの」だということがくり返し書かれている。「通じにくい」と感じる中に生きることがあるのではないかと考えながら読む。しかし考えることと、読むことはちょっと違う。もう少し違う感触で読んでいる。

 *

さて、そうこうして(書いて)いたら今月も「水牛」が更新されたので、お知らせします。いつものように「水牛だより」から読みます。

(つづく)

今月の「水牛」に書いた「『アフリカ』を続けて(5)」にも出てきますが、『珈琲焙煎者の本』を発売します。詳細はまた近々!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?