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43歳、新しい一歩を踏み出せたのは…他界した母親の年齢を超えることができたから

40代折り返し…
新しい一歩を踏み出す年齢は私にとって
41歳でも42歳でもなく
43歳じゃいけなかった本心
他界した母親の年齢をようやく自分が超えることができたこと

これからは親がつけてくれた晴美(名前)のように晴れバレとした
人生を歩んでいきたい想いをnoteに記す

4月から調理師専門学校に入学し少しずつ慣れてきた学校生活
幅広い年代層のクラスメイト達と一緒に学べる喜び、この貴重な1年を後悔なく思いきり楽しもうと毎日を過ごしている

母43歳で突然の別れ


私が中学1年生の秋。授業中に担任の先生が教室に入ってきて、私を呼んでいる。
職員室に行くと父親からの電話。

父「お母さんの心臓がとまったから、先生に頼んでタクシー呼んでもらって今から病院に来て」

記憶があんまりないんだけど…父と電話した職員室での事はよく覚えていて急いで病院に駆け付けた。

家で倒れた状態で発見され、救急車で運ばれたが心筋梗塞であっけなく逝った。
持病もなく、昨日まで普通に生活していた。

昨日最後に何て会話したっけ
そんな感じの突然の別れ
葬式で涙の一つも流さなかったので後々祖母に叱られた。
ワンワン涙流している方がわざとらしいと思ってた。

12歳から家事全般は私が


葬式など一連のことは終わり、父と兄と3人での生活がスタート。
突然母親が亡くなったからって
実の所寂しいとか感情はなく
あそこの家はひとり親だから…って言われたくない
可哀そうとか思われたくない一心でやり過ごす毎日。

昔から責任感は強い方なので自分がしっかりしないと!という思いで、つっぱって今まできた感じ。

幼少期から料理は好きでよく作っていたし、自然と私が家事全般をするようになった。
今は金沢市内の中学校は基本給食なのだが
私の頃は弁当持参かパン注(パンを学校内で注文する)だったので、弁当は自分で作っていた。

学生~社会人へ成長、言われる度にモヤモヤする言葉


学校終わりにスーパーで買い物して、
夕飯の用意&翌日の弁当のおかずも一緒に作るという日常。
この話をするとよく周りからは
「偉いね、感心するわ」と言われたが、
それを言われる度に私はむしろ腹ただしい気持ちに。

帰宅したらご飯が用意されている方が私にとっては普通じゃないから

それがどれだけ幸せなことか相手はわかってないし、適当に言われているみたいでモヤモヤしてた。

社会人になり昼休みに女性社員同士でお弁当を囲み一緒に食べている時
学生時代の話になり、やれ
「母親の作ってくれる弁当に冷凍食品入っていて嫌だった」
と言う同僚に心の中で腹が立つ
「作ってもらえるだけましでしょ」と思っていたし、学生時代に1度や2度作ったからってやった気になるなってね

20代後半 父親が亡くなる


結婚してすぐに父が倒れてしまい
そのまま1ヶ月もしないうちに亡くなる
父親が亡くなった喪失感はハンパなく、毎日泣き続ける日々。
なんでなんでなんで…なんなん私の人生。

新婚生活なんてあったものじゃない。
うつ状態になって仕事を辞めて家に引きこもり。
男でひとつ育ててくれた父親。大好きだった父親。
周りが羨ましがるくらい仲が良かった父親との別れが本当に辛すぎた。

20代で既に両親が他界している同じ境遇の友達がいない。
誰かに話を聞いてほしい。でも誰でもいいわけじゃない。

そして親戚や知人からの心無い言葉と想像力のない言葉
「お父さんは、あんたら二人の子供育てあげたから安心してお母さんの所に行ったんやわ」
「早くお父さんの事は忘れなさい」
「早く子供作らんか。近しい人が亡くなったら、生まれ変わりで授かるって聞くし」

自分を責め続け後悔する毎日
「私が結婚しなければ、父親はこんなにも早くに亡くならなかったんじゃないか」と。

半年後、新しい職場で仕事を再開した。
仕事を通して救われた事は何度もあったが30代は今振り返ると毎日やっぱり辛かった。周りがうらやましくて自分と比べて勝手に劣等感を抱いて落ち込む毎日
少しずつ前向きな気持ちになったとは言え、父親のことを思い出さない日は1日たりともなかった。

こんな状態の私とずっと寄り添い、時には一緒に泣いてくれ、今の私になるまで支え続けてくれた夫には感謝してもしきれない。

30代後半 母親の年齢に近づいてくる


あと〇年…あと〇年とタイムリミットが近づいているようで、
私は母親の年齢を超えることができるのかと強く思い始めた。
近くに同性のロールモデルがいないまま大人になったので、43歳を超えた後の自分が全く想像できない。

40代 心と体の変化

体力も気力も少しずつ落ちていく自分
受け入れなきゃなと思う自分
そして何より毎日は頑張れない自分
体の変化が母親とリンクしてきて、たった12年しか一緒に生活できなかったけど俄かに感じるようになってきた

本当はもっと生きたかったんじゃないか
私と兄が成人する姿を見たかったはずだよね
成人式、友達の母子のように会場に来て私の晴れ姿見たかったのかな

昨年、約15年介護した母方の祖母が亡くなる

認知症となり介護が必要となった祖母
兄が成年後見人となり、私は介護施設に顔を見に行ったりと孫の私達が見守ってきた

95歳の大往生で最期は兄と私で祖母を看取ることができた

ずっと周りには言えない
言ってもどうせわからないし
変な同情もされたくないから言いたくない
このどうしようもない感情
ずっと抱えてきた重い荷物のようなものをやっと降ろすことができた

祖母宅(母親の実家)の片付けをして、昔の写真を見ながら心の整理もできた

友人と久々の食事

先日、久々に短大時代の友人と食事
会社を退職し今は調理師の専門学校に通っていることを伝えると
その行動力に彼女は凄くびっくりしていて

「本心を言うと一歩踏み出せたのは、やっと母親の年齢を超えることができたからねんてねー」と私が言うと彼女は静かに涙を流しながら

「両親が健在の私にはその気持ちは本当の意味でわからないし、中学1年生の時に自分の母親が突然亡くなるなんて想像もできないことだけど私に話してくれてありがとう」

こちらこそ、聞いてくれて自分事のように泣いてくれる友達がいてくれて本当によかった。

最後に


今はなんだか、なんでこんなにも悩んでいたんだろうと思うくらい
吹っ切れた気持ちで毎日を過ごしている。

自分の中学時代という多感な時期に経験したからこそ分かることもある。
似たような境遇の人がいると語りたくなるし、それで相手の気持ちが少しでも楽になるのであれば聞いてあげたい。
誰かの何かになればいいかなと思ってnoteに記しました。


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