私が求めるものは、私のなかにすでにある
2023年3月18日
私はずっと自分の仕事に自信が持てなかった。
フリーランスのライターを名乗って、今年で20年目。
20年って、改めて書いてみるとすごいなぁ。
人が生まれ、成人する年月だ。
それでもなお、
「私なんてまだまだですよ。
私がやってることは誰でもできること。
だから本当に大したことないんです」
ずっとそんなふうに思っていた。
自分が本当にやりたいことって何だろう。
それを見つけたいと思って、かざみ侑布ちゃんの「セルフブランディング講座」にも参加している。
先日その講座で、仕事において自分のなかにすでにあると思うもの、これから得たい&伸ばしていきたいものを、みんなとシェアする時間があった。
私が「仕事において自分のなかにすでにあるもの」として挙げたキーワード。
感性、バランス、情熱。
これらのワードを選んだ理由を話しながら、この3つは書く仕事において私のこだわりそものだな、と思った。
私の話を聞いたメンバーが、こんな指摘をしてくれた。
口では「自信がない」と言ってるけど、声には力があったよ。
仕事のことを話しているはるみちゃんはかっこいい。
プロ意識を感じた。
自分のやりたいことも明確だよね。
すでにはるみちゃんの中にあるよ。
あとは、やるだけじゃない?
これらのフィードバックを聞いて、意外だった。
仕事のことを話すときの私の声に力があったこと。
自分では全然気づいてなかったな……。
というのは嘘だ。
私は、本当のところは、自分の仕事に自信がある。
そりゃそうだ。
20年近くも好きでやってる仕事だし、自分なりのこだわりもある。
なのに、私の口は「自信がない」と嘘をついた。
一体、何が起きてるのか?
*****
今の私の仕事のメインは、いろんな人にインタビューして、記事にまとめること。
これを私は、「ライターなら誰でもできること」だと思っている。
誰にでもできる仕事なんだから、大したことない。
何ら特別なことではないから、「私はこんな仕事をしています」と自信を持って言えない。
……と、書きながら今、思ったことがある。
私は、「特別な何者か」になりたかったのかもしれない。
そうかぁ。そうなんだな。
じゃあ、私にとって「特別な何者か」とは何なのか。
どんな仕事をすれば私は自分自身を認められるのか。
一言でいうと、私はライターではなく、ジャーナリストになりたかったのだ。
社会に提起したい課題、問題意識を持ち、取材して、世の中に問う。
それが学生時代に思い描いていた私の未来の姿。
だったはずなのに、私はずっと、自分が何に問題意識を持ち、何を書きたいのかわからなかった。
理想とかけ離れた自分をずっと責めてきた。
それを別の仲間に話したら、これまた意外なフィードバックをくれた。はるみちゃんが書きたいこと、もうあるよね。
……。
今まで、書きたいことが自分でもわからなかったのは事実だ。
社会に適合しようとするあまり、自分を生きていなかったのだからしょうがない。
でも、自分の本当の気持ちに触れていくなかで、書きたいことも図に上がり始めている。
いい加減、認めよう。書きたいことは、まだ漠然としているけれど、ある。
*****
ゲシュタルト療法のワークでは、「そうすることでなんのメリットがあるの?」と聞くことがある。
それを自分に問いかけてみる。
「私は自信がない」「私はまだまだです」と言うことで、私にどんなメリットがあるの?
現実に直面するのを避けていたのかもね。
自信がない、と言ってるうちは、できなくても許される。
やらなくても、許される。
自分の行動に責任を取らなくてもいいように、逃げ道をつくっていたんだな。
それに気づいた私。
じゃあ、どうする?
私は自分の望みを叶える。
書きたいことを書いていく。
その選択を自分で行い、その結果を自分で引き受けていく。
私はそうやってこれから生きていきたい。
それにしても、自分が好きで20年もやってる仕事を「大したことない」とか、自分に対してめっちゃ失礼だわ。
どんだけ自己評価が低いんじゃ!!!
ライターやら、ジャーナリストやら、そんな肩書にこだわっているから苦しくなる。
もう、どっちでもいいじゃない。
インタビュー記事を書くのは楽しいし、やりがいもある。
そう感じる自分の「実感」をもっと信じて。
私が求めるものは、私のなかにすでにある。
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