あることが大好きな日本が…

今年のWBCが開催される少し前だったと思うが、日本の報道が大谷翔平選手について他国の選手にコメントを求めた時、韓国代表の一人の選手が「真ん中に投げたらホームランを打たれる気がする」という前提を口にした上で「投げる場所がなければ痛くないようにぶつけようかな」と発言し、それが大々的に非難された。これは「ぶつける」のところにだけ注目すれば不適切なコメントだが、全体を見ればその選手なりの大谷翔平選手への賛辞だ。僕はラグビーをプレーしていたが、ラグビーではバインドをしないタックルは禁止されている。だから相手の足元へ体ごと飛び込み故意に躓かせた場合それはルール違反になる。これは複雑と言われるラグビーのルールの中では最も簡単で広く認知されているルールの一つだ。それでもラグビー選手は時に「躓かせても止めてやる。」と言葉にする。これは自分が相手に敵わないと自覚した上で、それでもその相手との勝負にガムシャラに臨むという、相手への敬意を含んだユーモアだ。韓国の選手はこれと同じことを言っている。日本の報道が大谷翔平を称えるコメントを求めた時に、韓国の選手はユーモアを持って答えた。別にこれから対戦する国の選手のことなので、相手のことを褒める必要はないのだ。それでも彼は日本の報道の意図を察して、対戦相手と言う彼の立場で言える範囲のコメントを残した。それをわかっていながら日本人は彼を言われない罪の標的にした。非難した人は「ぶつける」と言っているとそこを指摘するかもしれない、でも全体を読めば、そこが主題ではないことはわかる。文化が違うからわからなかったと言うだろうか。日本人は行間を読むとか、相手の発言の裏を読むとか、そう言った能力が優れていると自画自賛していたのに、こんな時だけ分かりませんでしたと言うのか。このことに言及するのにWBCの第一回大会で韓国代表がマウンドへ旗を突き刺したことを持ち出しているが、あれは他者への敬意がない行為だったが、今回の問題視されているコメントは他者への敬意が備わっている。全く別の意味を持つものを同質のものに曲解させている。僕は韓国を貶めようという悪意がこれほど露骨に報道されるとは思わなかった。そしてこれを非難する報道が少なかったことが悲しかった。その後、少し時間が経ってから、さらにひどい記事を見た。これは起こった出来事やそれを起こした人物を批判する内容だったのだが「〜と韓国人が非難していた。」と書かれているのだ。本当に韓国の方が関心を持って非難していたとしてもわざわざ書く必要はない。明らかに、批判したことを理由に韓国への嫌悪感を煽る意図と、自分で批判することで何かしらの反発を受けるリスクを回避しようとする汚さを覗かせており、対韓感情という言葉に暗い意味合いが潜んでいることを自覚した人がそれを悪用した記事だった。僕は他人への関心が薄いので腹が立つことも少ないのだが、これには腹が立った。この後も類似の記事がしばらく散見された。韓国との摩擦を示唆すれば閲覧数が伸び、また書き手の責任回避が可能なこのパターンに数人が便乗したのだ。こんな汚いことをしている日本人が韓国代表チームの彼をどうして批判出来るのか。彼のコメントには大谷選手へのリスペクトも、日本の報道への配慮も、勝負への気概も、ユーモアも含まれていた。日本の文化はそれを十分理解できるにも関わらず、彼を悪人に仕立て上げた。あの報道の後、彼がどのような立場に置かれたか僕は知らない。それでも、理不尽に晒され、心を痛めたことは間違いない。流行の褒め言葉に「誰も傷つけない」というものが、そういえばあった。皮肉なものだ。今回の出来事は「誰も傷つけない」ことが大好きな日本が罪なき1人の韓国人を傷つけた。

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