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1週間おつかれさま

 指示が分かりやすいように自分なりに頭をひねって分かりやすくまとめて書いたメールを、送信前に確認してもらった。
 書く必要のないことを書いていると指摘される。私が「この情報があった方がきっと問題が分かりやすいだろう」と考えて書いた箇所だ。
 私はあがり症な上にかなりな口下手なので、せめて文面では分かりやすく書こうと心がけているつもりだった。それに、自分はそれなりに文章が得意で、国語が得意な人として生きてきた自負心があった。ただの自惚れだったのかもしれない。

 自分で考えて書くのは結構時間がかかっても、言われたように消して書き換えるのはあっという間である。まあこうなるだろうという予想の範疇だったので、心にさざ波が立った程度だった。悔しかったが、制御不可能に荒れ狂う激情というわけではない。それひとつだけなら容易に感情を飲み込める。
 言われた通りに書き直した文面は、案の定、私には分かりにくかった。私はたぶんこのやり方で指示されたら困ると思う。私ならこう書かない。てにをはの使い方も納得がいかない。
 でも結局のところ、これは私が私の名前で送ったメールである。

 何か問題が起こったら、些細な言った言わないで失敗の責任を押し付けられるから、確かに「ここ」のルールに則ったらそうした方がいいのだろう。
 でも、私はそのためにずっと困っているのだ。話の前後関係と全体像を掴めないまま部分部分の話だけされても、私には何のことだか分からない。点と点の繋ぎ方が正しいのかが分からない。
 他の人はそれでも要領良くやっていけるのかもしれないが、私はずっと、全部で何枚あるのかわからない神経衰弱をさせられている気持ちだ。

 ある時、最近入社した人の申請が何度も差し戻しになった。内容をチェックして差し戻したのは私である。ここが違っているからこういう風に訂正してほしいと図を入れてメールで説明した。申請者の上長と前任者もccに含めた。
 でも、同じようなミスで差し戻しが続いて、最終的に処理が遅れた申請者がひどく叱られていた。
 私の説明がよほど分かりにくかったのだったら真摯に謝りたいが、その人は明らかに同じ部署の人からそもそもの仕組みをちゃんと教えてもらえていない感じだった。私はもっとちゃんと分かりやすく説明するようにと注意された。
 この件は本当に同情した。たぶんこの人は自分と同じことで困っているんだろうなと直感したし、それなら何とかしてあげたいと思った。
 とはいえ、そもそもほんの少しでも上長が中身をチェックしていたら気付くだろうし、前任者がフォローしていたらまず間違えないようなミスなのである。謝るべきは申請者ではないように思った。私はいったいどこまで人の事情を察して推測しないといけないのだろう。

 どうして助けられるはずの地位と知識と経験を持った人たちが適切に助けないんだろう。何かを決める権利のある人たちは、下っ端に伝言ゲームだけさせて、自分たちでは何にも決めないじゃないか。人が失敗するのを高いところから見下ろして、不揃いなパーツだけ見て溜め息をついたり、やいのやいのと口を挟むのはさぞ愉快だろう。いいから設計図を寄越せよと思うが、それこそ私の仕事ではない。
 私のミスは本当に私の不注意と知識不足だけが原因で起きているんだろうか。もし自分がもっと知識があって仕事ができて口達者で、顔が広く地位がある人間なら、絶対こんなやり方はしないのに。
 ここにいたのではそうなるための努力すらできる気がしない。何をやっても間違っている気がして、何をやる時も萎縮している。私以外の人が困っていても、心配したり助けたいと思う前に、自分ではないことと自分だけではないことにホッとするようになってしまう。

 何とかして早く抜け出したい。私の人生をこんな無秩序な不安に支配されることは不本意だし、何より、話が通じないのが悔しくて情けなくてたまらない。側から見たらどんなに見苦しく酷い敗走でも、絶対に抜け出して状況まるごとひっくり返して変えてやる。いつもは「悔しいなら見返してやれ」と思いながら心を奮い立たせるが、さすがに今週は疲れてしまった。

 まとめ・推し偉すぎてエラ呼吸になりそう

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