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続くメビウスの輪

 休職中の日記です〜
 使うタイミングが分からんとか言って溜め込んでいた有給が役に立ってよかった。

 特に細かいことは書かないが、驚くほどあっという間に休職が決まり、ありがたさと申し訳なさで「あれっ???」と感情の梯子を外された感がある。
 正直なところ、日頃からこのスムーズな連携とコミュニケーションがあったなら普通に働けたのでは?以外の何ものでもなく困惑している。わたしが真面目すぎるがゆえに誰にも相談せずに一人で抱え込んで爆発した感じにまとめられたことにはちょっと疑問が残るが、実際話せたことの方向性としては一理あるし、今現在実際に迷惑をかけているのはわたしだし、こういう“後の祭り”っぽいのってどこに感情をぶつけたらいいのだろう。神かな。このような場面がおそろしく苦手である。

 わたしが恐れているのは「似たような問題が自分の人生で繰り返し起きること」だ。
 目の前の具体的な人の言動や出来事はわたしには断片と結果しか見えないので、仮に嫌でも正直それ以上の感情を向けても仕方ないと思っていて、ひと続きの連続性を持った自分自身に原因を求める癖があるが、それこそどうにかした方がいい癖だなと思う。むしろこの考え方の内向性によって、似たような問題を繰り返し起こしたり巻き込まれたりしている。尻尾をぐるぐると追いかける犬のようだ。

 それはさておき、ある程度ストレスに晒されていないと書きたい文章を思いつかなくなるようだ。
 家にいるから気が抜けて脳内がのほほんとしているため、とりあえずぬいにサニーレタスを見せたりしている。かわいい。

サニーレタスですねぇ
サニーレタスですな

 先日友人と話した際、かつての同級生たちは結婚したり子どもを育てたりしているらしいと風の噂で聞き、別の時空か二次創作の話かと思って驚いてしまった。自分がそういった人生に何の憧れも興味も持っていないことにも改めて驚いた。それよりもなんというか、すべて人づてに知るという現象にも驚いた。周りへの興味が薄すぎるのではないか…?

 だからどうしたという話なのだが、どこまで確かなものだか分かりやしないのに、“今”という一点や人を信じられるという点がすごく羨ましいと思った。わたしにはできる気がしない。この点に関しては焦燥感と劣等感の塊である。
 でもこれは要はわたしが解決すべき内面的問題であり、それ以外の意味は持たないように思う。だから、話を聞きながら感じた羨ましさは自分だけの独立した感情に過ぎないのだが、人付き合いの中では他者や常識と切り離して語ることが難しい。
 なにしろ交友関係が狭いのであまり意識したこともなかったが、みんな当たり前にこういう曖昧な気持ちを出したりしまったり使い分けながら生きているのか。わたしも無意識にはやっているのだろうけど、意識し始めると難しすぎてだめだ。ややこしい物事が思った以上に苦手でこればかりはどうにもならないだろうから、なるべく不向きなことに頭を使って精神をすり減らさずに済み、のんびり楽しく生きられる場所を探したいものだ。

 何はともあれ、ぬいはかわいい。フワフワは正義だ。

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