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蛇の舌〜随想〈Poison Strategy〉

 憂鬱な通勤電車に揺られながら、仕事熱心な副所長にあやかりたくて七種茨のソロ曲〈Poison Strategy〉を聴いていた。

 この曲を歌っている七種茨は、旧約聖書でイブに禁断の果実を唆した蛇に擬えられる、口達者で狡猾なキャラクターだ。
 個人的には悪賢いというよりフェアでさっぱりした人柄だなと思っていてそこが好きなのだけど、長くなりそうなので割愛します。とにかく、元気な働き者で偉いなぁと思いながら応援している。見習いたいものだよ。

挑発的な舌が良い

▼ 歌詞です。

 この曲を聴いていると、『ファウスト』でメフィストフェレスが登場する場面を思い出す。
 そもそもずっと下巻を買いそびれていて最後まで読めていない(昔読んだけど記憶喪失)ので、あれやこれや書く前に早く続きを読んだ方がいいんだけど、これ書いたら読める気がするから先に書く。

 メフィストフェレスは人生に飽ききったファウスト博士の望みを叶え、地上の快楽のすべてを与える代わりに死後その魂をもらう…という契約を交わした悪魔だ。〈つねに悪を欲して、しかもつねに善をおこなうあの力の一部〉とか名乗っていて格好いい。
 わたしはファウスト博士の書斎にメフィストフェレスが現れて博士と契約を結ぶ場面がお気に入りで、ここを舞台などで観られたら楽しいだろうなぁと夢想していた。

煩悶をもてあそぶことはおやめなさい。
それははげ鷹のようにあなたの生命をついばむだけです。(中略)
わたしはお偉方といわれるようなものじゃないが、
それでも、もしあなたがわたしと手を握って、
世間を渡ってみようという気におなりなら、
即座にわたしは甘んじて、
あなたのものになりますよ。
つまりあなたの道連れにだ。
そしてわたしのすることがお気に召したら、
召使にでも、奴隷にでもなりますよ。

『ファウスト 悲劇第一部』ゲーテ著 手塚富雄訳,
中公文庫,p130

 メフィストは皮肉の利いた刺激的な長台詞をぺらぺらと饒舌に語ってて、これで人を思い通りにできるなんて愉快だ。わたしは家で本を読んでいてテンション上がった時は、いてもたってもいられず声に出して読んでみたりするが、オドオドした棒読みに慣れきった舌でそんなことをしてみても長台詞への憧憬が増すだけである。

 たぶん別の作品だと、『リトルマーメイド』でアースラが脚と引き換えにアリエルの声を奪うところの〈哀れな人々〉も近い雰囲気のような気がする。「あちゃ〜それ乗っちゃダメだろどうすんだよ…」と思いながらも、次の展開へと期待が膨らむ、作中で一番熱いところだと思っている。ヴィランはサービス精神旺盛で楽しそうなので大好き。

 話は戻って〈Poison Strategy〉も、このように「主人公を誑かす悪役が初登場する場面で、自己紹介を兼ねて歌っている曲」みたいな印象がある。
 ひょんなことから長らく忘れていたメフィストフェレス観たい欲が蘇ってきた上、相乗効果で望みがパワーアップしている。どうしてくれよう。

 先述の作品などは、わたしは物語の部外者だし安全圏から読んだり見たりしているだけだから、盛り上がるといっても高見の見物感がある。
 だけど、ヘッドホンをして外部の音をシャットアウトした状態でこの曲を歌う茨の軽快な声を聴いていると、実際に自分が悪役の手のひらの上で踊らされる物語の主人公になったような臨場感を味わえてすごく楽しい。

 仮にこの曲が物語のワンシーンだと想像すると、誘惑者の茨が最終的に立っているのは聴き手の利き手側の背後だと思う。
 初めは芝居がかった仕草で現れ、くるくると立ち位置を変えて大仰に愛想を振りまきながら、思わせぶりに近づいたり離れたりしているのだろうけど、曲が終わる頃には影のようにぴったりと背後に立たれていて、すっかり利き手の自由が効かなくなっている。聴いているとそういう場面が思い浮かんでわくわくする。

 茨は自身がアイドル活動しているだけでなく会社経営や所属ユニット等のプロデュースにも勤しんでいるが、曲を聴いているだけでただ会社に行きたくないだけの冴えない奴まで舞台に引っ張りあげて主人公チックな気持ちにさせてくれるとは。最近は健康管理もしてくれるし起こしてくれるし働き者すぎる……。


 また面白いのが、「言葉巧みに女性を誘惑する」という曲の性質上、全体的にエロティックというか扇情的な雰囲気が漂っているにも関わらず、妙に禁欲的な淡白さがあることだ。
 茨がキビキビ歌っているからだといえばその通りなのだが、艶っぽい蛇の舌で歌っているにも関わらず、舌はあくまで「言葉」の比喩であって実体を持たないし「あなた」の肉体とも接触しない。
 肌に染み込ませるのも這わせるのも「言葉」である。唯一「優しく触れる」ところで出てくる手も、「神の見えざる手」と掛けた実体を持たない比喩の一部であり、これも指し示すのは耳障りのよい甘言のことだろう。
 このように、中盤までは雰囲気は艶かしいが丁重に核心を避けるような表現が続いて、後半で一気に急展開する。この蛇、ついさっきまで優しく触れるとか言ってたくせにいきなり牙剥いてきた。
 曲中、言葉巧みに誘惑するさまがいろいろ出てくるが、後半にこの急展開が待ち構えているから、最も具体的な触覚として訴えかけてくるものは蛇の舌よりも鋭い毒牙だと思う。

 江戸川乱歩の『孤島の鬼』で、万事休すの洞窟の暗闇で諸戸が蓑浦に迫る場面でも、好色な誘惑が蛇に喩えて表現されていて印象的だったが、こちらは思いっきりがっつり舌で舐め回していた。耐えに耐えてきた熱情が切羽詰まって燃え上がるところで悠長なこと言っていられないけど、もっと茨を見習いたまえよ……。

蛇はヌラヌラと私の身体に這い上って来た。私は、このえたいの知れぬけだものが諸戸なのかしらと疑った。それは最早や人間と云うよりも不気味な獣類でしかなかった。

『孤島の鬼』江戸川乱歩著,角川文庫,p308

▼ 青空文庫にあった。とにかく濃いです。

 茨は舌の用途がストイックだ。舌先三寸ですべてを手に入れんとする野望の本気度合いが窺い知れる。過程より結果重視のわりに、やり方には厳しめな美学がありそうで良い。好きです。

これはマジだぜ

 この観点でいうと〈Poison Strategy〉と同一線上にありながら正反対なのが〈視線Hold me tight〉だな〜と思っているので、できればここからHiMERUの話に展開させたいところだが、いつもそんなこんな考えているうちに会社に着いてしまう。

 残念!主人公でいられるのは蛇に誑かされている間だけなのだった。

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