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安全基地〜随想〈The Beast of the End〉

〈The Beast of the End〉を聴くたび、なんて格好よくて優しい歌なんだろうと思う。
 Adamは強い父性や男性らしさを体現するみたいなコンセプトのユニットだから、そのイメージに沿うような荒々しく支配的で攻撃性が強い感じの曲を歌っているが、これほど優しい人たちはいないような気がしている。

 この曲は、決して強者が華々しく栄光を勝ち取る歌ではないところが大好きだ。
 もしも第一印象の通り圧倒的強者の歌ならば、食べごろの甘い果実だけもぎ取ればいいし、何なら他人の鼻先から掠め取るとかしたっていいし、わざわざ立ち上がるまでもなく高いところから仁王立ちで周囲を見下ろしているはずだし、俺こそが正義で俺の正義に従えという詩を歌うはずだろう。わたしが乱暴なだけかもしれないけど……。

▼ 歌詞です。

 歌詞の一言一句すべてが雄々しいが、一言一句すべて敗者の視点から歌っていると思う。いつだって王道にも覇道にも乗ることができず、求めているものを手に入れられず、しみったれた敗北ばかりを味わされている人たちが、何度でも威風堂々と顔を上げて臥薪嘗胆を誓う歌だという印象だ。痩せ我慢がこんなに格好よかったらどうしたらいいんだよ。

♢♢♢

……というのが〈The Beast of the End〉を聴きながら思っていたことなのだが、「軌跡★電撃戦のオータムライブ」を読んだ時に、その印象の通りだったので心が締め付けられた。
 詳細なストーリーに触れると長くなってこんがらがるし、あらすじ説明するのが苦手なので概観だけ述べたい。

 あまり情緒のない読み方かもしれないが、ストーリー展開とキャラクターのポジションから鑑みるに、Adamは手強すぎるがゆえに他のユニットに“正攻法で勝ってはいけない”足枷を嵌められている人たちだろうと思った。
 誰かと共闘すれば勝利を得られるかもしれないけど、これだけ勝ちを追い求めているにも関わらず、どんなに良い結果であっても誰かと引き分けるようにされて、本来望んでいるような単勝はあり得ないという立ち位置だろう。戦えば戦うほど見えざる手で負けさせられる。でもいつでも強大な存在でいないといけない。

なんて難儀なんだ…

 このような“強敵”に物語上で唯一許された単独勝利のあり方は、潔く散るか潔く去って、物語の展開としては負けるが人物・信念としては勝つみたいなことだけだと思うのだけど、当然そんなことしたら元も子もないし、何よりAdamは生き延びるために勝たんとしている。

 彼らの勝利の定義は抽象的なので、具体的にどのような状態を指しているかまではよくわからないが、相当実現困難なことを目指していることは確かで、茨の道もいいところだと思う。
 わたしはたとえ失敗や敗北が約束されていたとしても、それでも格好いい存在で続けて誇り高く駆け抜ける登場人物の姿に無性に弱い。応援したくなってしまう。きっとこういうのを判官贔屓というのだろうな。

 と、ここら辺に思いを馳せながら聴く〈The Beast of the End〉は、ただでさえ格好いいのにあまりにも格好よく、さらにAdamEveが合わさってEdenになるとか熱すぎる。Edenとしては心置きなく輝かしい栄光を歌っているのも気持ちがいいし、この曲を取り巻くすべてが熱い。

♢♢♢

 また、わたしは父性なる概念に興味があるので、Adamはユニットのコンセプトからしてかなり惹かれるものがあるのだが、聴いているうちに、彼らがそれをどういうものとして捉え表現しているかの一端がだんだん掴めてきたように思う。

 ふたりとも足掻きながら生きているのに、ゼロからこんな難儀な概念を背負ってこの曲歌ってくれているのか…と考えると、その献身に目頭が熱くなるが、わたしがどれだけ彼らに感情移入しようがAdamはわたしと一緒に感傷に浸ったりなどしないし、〈The Beast of the End〉も傷を舐めて弱さに寄り添ってくれるような感じの曲ではない。

 でも、彼らは癒さない代わりに半分に割った魂の片方を黙って差し出してくれているんじゃないかと思う。挫けても立ち上がれる心の強さを終始一貫して信じていてくれる。
 わたしは誰しも強くて確かな存在でありたいものだし、自分の存在や心には強さを認めてほしいものだろうと思うから、どんな状況でも強さを信じて鼓舞するような曲を歌ってくれるAdamがとても好きだ。

 これが父性の結実だとしたら凪砂くんと茨が獲得しようとしているものってきっとすごく優しいんだろうな。

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