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楽しき哉、夢小説

 わたしは夢小説を書くことが好きなので夢小説について書きます。

 もともとわたしは読書する時に好きな場面を好きな配役で舞台化(ドラマ化)した妄想をするのが好きだったので、その延長で夢小説を書き始めたように思う。恋愛小説は主観的な心理表現が緻密で美しくてロマンチックなところと、客観的に見れば登場人物たちの必死さが歪で滑稽ですらあるところが同居しているのが好きでよく読む。
 愛とか欲とか性とか、なんかどうしようもないぬめぬめした汚らしい人間の業を問うてくるようなテーマを扱っているところも面白い。わたし以外の人も馬鹿みたいに大げさに苦悩しながら生きづらそうに生きていてほっとする。
 この好きなやつの最強の理想形を読みたい。一番テンションが上がって感情移入できるやつ。
 よし、推しの夢小説を書こう。

♡♡

 書いているとつくづく実感するが、どれだけ理想的な状況や素敵な場面を考えて書いても、最終的には絶対そこに存在できない現実を突きつけられる。わたしの夢はどうあがいても叶うことがない。夢主って誰なんだ。あんた本当に誰なんだよ。どうして私はあんたを書いてもあんたにはなれないのにお膳立てしてやっているんだ。代われよ。
 だがしかしそこが楽しい。絶対叶わないと分かっていながら、自分の描いた夢に裏切られることが約束されているのに、それでもなおそこに存在したいと夢見ずにはいられない切実さが夢小説にはある。わたしはそういう情熱的なロマンが大好きなんだ。

 唯一夢妄想が現実と地続きで叶うかもしれない可能性があるのが寝ている間に見る夢である。わたしは砕けた歯を吐き出す夢とか小学校で椅子を運ぶ夢とかしょうもない夢ばかり見るので未だ一度も実現したことないけど、とりあえず布団を被って寝ておけばいつかは叶うかもしれないので、夜眠るのが少し楽しみになる。明日の朝に待ち受けているのは窓辺で雀がさえずるロマンチックな目覚めではなく、うるさいアラームと仕事の気鬱だけだとしても、寝不足を回避できればひとまずは健康的な生活を送れる。そこは良い夢を見たいものだが、夢なのでまあ致し方ない。

 また、夢には起きている間の記憶を整理する役割があるというが、夢小説もそうだろうという気がしている。とりあえず夢小説を書くことを第一目的としていれば、たいていのことは何でも役に立つ。
 個人的には憂鬱な時ほど文章を書きたくなるが、やっていることの意味を問うて落ち込む確率が減る。なぜなら、たとえ掌編一本だけでも台詞の一行だけでも、読みたい夢を書ければ、負の感情はわたしを苦しめるためのものではなく夢を見るための材料に転じるし、目標を達成できるからだ。意味と目的と手段と結果がまっすぐ一直線に繋がるものはそれだけでわたしに安心を与えてくれる……。
 それに加え、題材が何であれ夢小説を書く以上は夢小説にする必要があるから、必然的になんだかんだ前向きで素敵な内容を書かざるを得ない。仮に「すごい嫌なことがあったから慰められたい…」みたいな我欲100%の妄想を形にするにしても、その結果に至るための自分ではない視点と最も甘美な状況を想定して、なおかつ言動に“らしさ”と真実味を持たせられる妥協点を見つけないといけないから、書いているうちに感情の傍観者になれて頭が冷えてくる。浮き沈みが激しく頭の切り替えが下手くそなわたしにはありがたい。出発点が掃き溜めだとしても、結末には黄金郷が待っているのが夢小説だ。

 そして、なぜ“夢”小説という形式に拘るのかといえば、願望をあくまで自分個人のものとして負いたいからだ。個人的に、最も罪が軽く、最も潔い形が「夢」なのではないかと思った。
 わたしの中では、他人の心を囲い込んで決めつけること、人間関係のありように外野が口を挟んで鋳型にはめて支配すること、自分の願望を人のものとすり替えることは、心を踏みにじるひどい行為だ。(※諸説あります)もちろん好きだから創作したいわけだが、書き始めたとたん「好きを免罪符に自分が一番されたくないことを意図的に一番好きな対象に向かってしていいのだろうか… その矛盾を自分に許して得た理想は本当に私の理想と呼べるのか… 愛とは何だ…」みたいな壁に打ち当たった。
 コミュ障すぎて会話を書けないとか動作を説明できないとか色んな壁が次々と目の前に立ちはだかるが、この「書きたいのに書くべきではない」という謎の拘りの壁が最も高く、なんとかしないことには書き進められない。マジで私は何やってんだ… 頑迷すぎる… と頭を抱えてのたうち回っていたものの、「夢」だという抜け道を用意したら割とすんなり割り切れるようになった。夢は思い通りにはならないけど寛大である。
 これは現時点での言い訳なのでしばらくしたら違うことを言い始めるかもしれない。
 何はともあれ、誤字とか矛盾があっても「まあ、寝ぼけてたんだろうね」と思えば水に流せるので、便利な枠組みだと思っている。

♡♡

 わたしにとっては自分次第で何でもできる十徳ナイフのようなものが夢小説である。なにせ実体のない夢まぼろしなので、伸縮自在でいつでもどこでも心のポケットにしまっておける。漠然としんどい現実を生き抜くためのサバイバル道具であり、護身用の武器だ。持ち主の不器用さが玉に瑕だが、これを使いこなせればきっと闇を切り裂いて生きていける。

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