最近読んだものたちの感想

ジュンバ・ラヒリの『思い出すこと』の感想。


仕事で触れるテキストと、叙情的なテキストの差異を久々に感じた。私の今の仕事は、言葉の定義をすり合わせ、ゴールをすり合わせ、認識の齟齬がないコミュニケーションが求められる。そこで必要となるのはとにかく簡潔で、誤読の余地をなるべく残さず、無機質なテキストだ。
このジュンバ・ラヒリの『思い出すこと』は著者の自伝的な内容を詩で表現していて、そこには私の生活から欠けてしまっていた美しく豊かな表現が並べられていた。
言葉はただの文字列ではなく、その人が生活を認知する上でのフィルターのような役割を果たすと第二言語を習得した時に思った。

例えばこの段落

年末の空は真珠層。
つかのま露わになる隠れた層。
雪の中のほのかな光。

『思い出すこと』ジュンバ・ラヒリ

冬の曇り空、分厚い雲の向こう側に太陽がいるのが姿は見えないけれど雲の所々の光から分かる光景。
同じ景色を見ていても、著者のフィルターを通して見る冬の空は、私のものとは違っていて、それはきっとその景色を見てどういう言葉で表現するかが違ってくるからだと思う。

話は突然変わるけれど、リヨンに留学していた頃の話を自伝的な小説として書きたい。ただの自己満足ですが。

『理不尽ゲーム』感想


この本を最初に読みたいと思ったのは以前専門学校で少し授業を受けたことがある先生が装丁を担当されていたからだった。でもその後、読みたい本リストが山ほどある私は、すぐにこの本を手に取ることはなく、今回偶然近くの図書館で見かけたのでようやく手に取って読む運びとなった。
私には信条のようにしている考えがあって、それは「小説や映画などの創作は私が住んでいる社会、そしてその社会が抱える問題と地続きである」ということ。
私はこの信条をより強く感じるエンタメに出会うたびに胸が熱くなるのだが、この小説もその一つだったと言える。
あらすじはネットに大量に落ちているだろうからそちらに譲るとして、一番印象的だったのは昏睡する主人公と圧政の下閉塞感に満ちてしまった社会を重ね合わせているところだ。昏睡状態の主人公に語り続ける祖母は、最後まで主人公が昏睡状態から目覚めることを信じていた。明記されていなかったけれど、彼女は社会に対しても同様の姿勢だったのではないか。だから、愛する孫をドイツへ移住させるという選択を拒み続けた。それはあの社会が、まだ変わり得ると信じていたからではないか。
巻末の訳者後書を読んだ際にこのことに気付き、主人公が昏睡していた間もずっとこの本はテーマ制を持って読者に語りかけていたのだと思うと、もう一度読み返したくなる。
ハッとさせられた文章は

この人たちはなるべくなにも考えずに誰の邪魔もしないようにしているうちだけ生きていられるのだーーと考えていた。

204頁

また、206頁の主人公が母親に対して、主人公が昏睡していた間(社会がだんだんとおかしくなっていった時期)に「僕らが行かなきゃいけないのは僕らのせいじゃない、母さんたちが悪いんだ。十五年もなにもしなかったじゃないか。僕がいま行かないですむためになにかひとつでもしてくれたっていうの?」という台詞。今の日本で生きる私に重くのしかかるセリフだった。主人公に対して母親は選挙にだって行ったけど、その度に当選するのが現大統領なので仕方がないという言い訳。けれど、その大統領が当選し続けることがおかしいことくらい、みんな心のどこかではわかっているのだ。わかっていたけど、そのことに異議を申し立てず、許し続けたことを主人公は責めている。
十年、二十年後、私はこの母親と同じ言い訳をせずにいられるだろうかと思う。自分の違和感に忠実に、行動に100%起こしながら会社員生活を送ることはあまりにも難しい。ニュースを事細かに追うよりも8時間労働の疲労をなんとかして次の日に備えることを優先してしまう。自分の仕事のための学習を優先してしまう。より収入を上げるため。自分がこの社会で生き残るため。
そんな自分を今すぐ変えることは正直できないと思うし、私がこの社会で生きるため、十分な収入を得るための学習に時間と労力を注ぎ込むことも必要だと思っている。
けど、この本を命がけで出版した著者からのメッセージを全て忘れ去ることもできないと思う。
大人になってわかったことは、人間は白黒はっきりつけられるものではなく、つけようとすればするほど苦しくなるということで、だから私は今回の感想に関しても白黒はっきりはつけられない。
でも、少しでもこのフィリペンコ氏からのメッセージを胸のどこかに常に置いておきたい。十年後、二十年後、主人公の母親と同じ言い訳をせずにいられるためには今からなにができるだろうか。
この本はエンタメ性が高い構成になっているからか、フィクション性が強い物語のように感じるけれど、決してそんなことはないと気づいた時からが本番のような気がする。どれだけこの物語を自分の社会のことだと思って読める人が多いかで、その社会における政治の熟成度がわかりそうだとも思った。

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