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【番外編】博総日記 B4編成解体記録

700系B4編成。それは最後まで残った16両編成の700系です。
2021年2月いっぱいで車籍を抹消され、約8ヶ月にわたり留置。そして12月23日に「用途廃止」というもう使わないことを示す張り紙が貼られ、その車生を終えることになりました。
その後、1号車から順に全車両が解体され、東海道の「のぞみ」の一時代を築いた名車の歴史が1つ消えました。

今回は、そんなB4編成の解体の様子を一部ではありますがまとめたいと思います。

まだ解体が始まる前のB4編成をまとめた記事↓

B4編成の一生

700系B4編成は2002年4月17日に落成。その後、東海道·山陽新幹線を「のぞみ」をはじめ、「ひかり」「こだま」としても走り続けました。

話は飛んで2020年2月28日。この日、700系B編成の新大阪-東京間の定期運用が上り「のぞみ374号」、下り「のぞみ399号」をもって終了しました。B4編成はこの最後の1往復を担当します。
同年3月13日、山陽新幹線内での定期運用も「ひかり441号」をもって終了。この運用もB4編成が受け持ちました。

そして転機が訪れたのは5月2日。東海道·山陽新幹線内の定期運用が終了し、他の16両(B·C編成)の700系が解体される中、このB4編成は全検に入ったのです。それは他が解体される中でも、ラストランを担ったこの編成はまだ運用を続けたい、というJR西日本の思いだったのでしょうか。
この全検では、健康増進法に伴い喫煙車の禁煙化·喫煙ルームの使用停止改造が行われました。これにより、異例の全車禁煙となります。

その後、5月15日に全検出場試運転を博多総合車両所-新山口間で1往復行いました。

波動用として博多総合車両所に留置され、2020年8月8·9日には500系の代走運用に就きます。

この時、まだこれが全検後の最初で最後の旅客運用になるとは誰も思わなかったでしょう。

そう、流行り病による臨時列車の運転取り止めや東海道新幹線のN700系/N700S統一によって本来まだまだあったであろう運用の機会が減っていき、これを最後にB4編成の旅客運用はもうされませんでした。

そのため、先述の通り2021年2月28日付けで車籍抹消、12月23日に用途廃止となり、解体されてしまったのです。

ここまでがざっくりとしたB4編成の車生です。

B4編成の解体

ここからは、B4編成解体記録となります。

1号車解体 2022年1月13日
まだ信じられなかった

1号車の解体シーンです。Twitterで解体開始のツイートを見て、すぐ家を飛び出して見に行ったのは今も覚えています。

まだ残っていた部分をズームで

まだ解体されていない部分をズームします。こんな感じで東京側から見て左前が残って一旦作業終了ということがよくありました。

逆から
これだけ見てももう何か分からない

この角度から見たら半分以上がもう壊されていて、一瞬何か分かりませんでした。
重機のアタッチメントで解体していくのでしょうがないことではあるのですが、欲を言えばもうちょっときれいに解体してほしかったなと思います。

2号車 2022年1月17日
もう床面だけしか残っていなかった

2号車です。来るのが遅くなってしまい、かなり暗くなってしまいました。
このときはほぼ解体が終わり、残るは床面のみになっていました。これを非鉄の人はもちろん、何も知らない鉄道好きの人に見せても新幹線とは思わないでしょうね。

3号車 2022月1月19日
解体自体はまだ始まっていなかった

3号車です。スイッチャーで解体線に入れられたばかりだったのか、まだ解体されてませんでした。
こう見ると、床下がすっからかんなのってなんだか不思議ですね。

普通見えない表記も

妻面を拡大しました。普段見えない幹ハカとかの表記が見えました。でも、ぼやけてしまって読めないですね···。かろうじて幹ハカが見えるぐらいです。
他に、4号車と繋がっていたであろうケーブルが下を向いてしまっているのも、どこか悲しかったです。

B4とE2
目的は完全に違うが様子は同じに見える

解体待ちのB4編成と全検待ちのレールスターE2編成が並んでいました。全検がもう少し早かったら、5号車どうしで並んでいたのでしょう。
廃車車両とまだ走り続ける車両。同じ700系列の車両なのに、留置の目的は正反対でなんだか複雑な気持ちになりました。

行先表示器のところの汚れが顕著

なぜか窓より行先表示器のところの汚れがすごいことが分かります。
あと、台車横にいつもは見えにくいヨーダンパが見えました。蛇行動を抑制し、脱線事故の防止に役立っている装備です。
新幹線なので台車の転用は考えにくいため、今までありがとうと言ってあげたいなと感じました。

どんなものにも、いつか終わりは来てしまうものです。

2022年1月20日
解体作業が始まってしまった

重機による解体作業が始まってしまっていました。解体に遭遇したので、しばらく見ていました。

窓枠の奥に見える白い物体
あれ全部屋根の残骸です

重機が既に切られた屋根を掴み、外していきます。動画で伝えられないのが残念ですが、外すときには「メキ、バキバキ」みたいな音が出ていました。見ていてとても辛かったです。

B4の残骸がリサイクル工場へ

こうして解体され、出た残骸はリサイクル工場に持って行かれます。このトラックに山積みになっているのが残骸です。少しでいいからください···

4号車 2022年1月25日
建物がじゃまで号車番号が確認できない

4号車です。これもまた、車両の左前のみ残って作業終了のパターンです。床部分がけっこうしなってますね。本当は壁とか屋根で突っ張っられてたんでしょうか。仮にそうだとすると、それらに負荷がすごいかかってそうです。

この日、珍しいものが見れました。

な、B4の残りがスイッチャーで押されてる!?

スマホ画質ゴミ画質ですが、なんと、B4の残りがスイッチャーに押されていました。
この時、僕はあることを察しました。内装解体のために2両が切り離されてしまいそうということです。

数分後、スイッチャーのディーゼルエンジン音が聞こえて、スイッチャーご一行が帰ってきました。

転線してる

さっきまで2階建て100系の手前にいたはずが、奥から出てきました。転線してます。

見えづらいが最後尾は7号車

7号車が最後尾となって留置線に入っていきます。果たして、編成は変わっているのか···

1月25日の留置線
一番手前は7号車ということは···!

留置状況は事前に確認しておきました。この日の留置は7号車-16号車。つまり編成は変わっていません!
超安心しました。

話が安全側線に突っ込みました(脱線しました)が、話を戻します。

5号車 2022年1月30日
なんか茶色の布みたいなのが気になる

5号車です。上に書いた通り、なんか床部分から茶色いものが垂れ下がってます。正体は何なのか、めっちゃ気になります。
パンタ車のはずですが、パンタグラフの土台はもうさすがにありませんでした。

6号車は撮れてません。

7号車 2022年2月14日
乗務員室があってドアと壁部分が多い

7号車です。夕日に照らされ、独特の雰囲気をかもし出していました。
乗務員室がある関係で、他の車両と見た目が全然違います。そんな車両も容赦なく解体されていきます。

?号車 2022年2月22日
おそらく11号車

何号車か分かりません。ですが、窓の大きさから普通車、パンタ車はまだ解体前ということから、11号車ではないかと思います。
ホッパ車が邪魔で、この頃から解体が見えづらくなりました。

12号車 2022年3月2日
ついにパンタ車が両方解体

12号車です。11号車?と間が開いたのは、パンタグラフがあって内装解体に時間がかかったからと思われます。
これにより、完全に架線からの給電ができなくなり、必然的に自走もできなくなってしまいました。

?号車 2022年3月5日
最終的には台車周りしか残らない

ここまで解体されると、16号車ではないことしか分かりません。つまり、この車両は何号車なのか分かりません。

ここで、諸事情により飛びます。

?号車 2022年3月12日
もう床部分しか残っていない

床しか残っていないので、何号車か分かりません。

これが最後に見た中間車になってしまいました。それも車体の解体が終わった姿で。

と、いうことは···

16号車 2022年3月18日
B4の終わり

次に見たのは最後の車両、16号車です。ライトカバーの形が、どこか悲しそうに見えました。

これも見納め

このJR 700マークも西車の保存車は無いため、見納めとなります。

B4の文字が見える

窓も乗務員ドアも無いため、このB4が最後に残ったものです。最後と考えると悲しいです。

2022年3月19日

翌朝、改めて確認に。
この白いノーズが消えるというのは、一夜明けてもやはり信じられませんでした。

ここで問題が

見て分かるように、保線車両が上手く被ってしまい、あの顔を見ることはできませんでした。もう一度あの顔を見られると思っていたので、本当に残念です。

ここで長崎に行くなどして確認が数日できませんでした。

2022年3月23日
B4、ついに解体完了

3月23日には、この通り台車周りしか残っていない状態まで解体が進んでいました。
最後に残ったB4の文字。それはただの金属板に見えるこれもB4編成の一部だったことを示す、唯一の証拠です。

ここまでがB4編成解体記録です。

まとめ

飛び飛びになりましたが、B4編成の最後の姿、見てもらえましたか。
全検は通ったものの、わずかしか走らなかったB4編成。各種ラストランに使用されたことは幸せだったでしょうが、最期は不幸に終わってしまいました。とにかくあの流行り病さえ無ければまだ走れたのに···とにかく憎いです。

B4編成が落成した日、皆さんこ存じですか? 
4月17日です。これの投稿日は4月17日。解体
されていなかったなら20歳になるはずだった
ようです。あと少しだったのに···。かわいそ
うです。ですが、これも必ず来る1つの運命
なのです。「今まで頑張ってくれただけでえ
らいよ」。今、こう言ってあげたいです。

B4編成、今までありがとう。そして、さようなら。きみののぞみは、きっと後輩のE編成が受け取ってるよ。

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