『余白』

(monogataryに投稿したの再掲です。いや、結局こっちにも投稿するんかい…)
お題:左手

余白

ヒューマンドラマ・日常系

僕は生まれた時から左肘から先がない。
だから、左手がないんだ。



小学生の時
入学式が終わり、担任の先生が教室に入ってくるなり、大事な話があると前置いてこう言った。
『桐谷君は生まれつき左手がないの。だから、桐谷くんには優しくしてあげてね。』
彼女はとても満足げな表情をしていた。僕に左手がないという理由で、優しくすることは正しいことなのだろうか。人は無意識に物事に善悪を付けてしまうことがある。左手がない僕に優しくすることが「善」ならば、その優しさを素直に受けとることも「善」になるだろうか。僕はその「優しさ」を受け取らないことを諦めた。



中学生の時
総合の時間に障害者について授業を受けた。自分のような身体障害者だけでなく、精神や知的、昔から根付いている差別などについての話を聞いた。最終的には障害者の人に町で出会ったり、差別を目の当たりにしたらどうするかをテーマに作文を書く課題が出された。
後日その作文を発表する機会が与えられ、障がい者に関しては大体の生徒は、優しい表情で僕の顔を時折見ながら、
「町で障がいのある人がいたら、助けます。」
と言った。
僕のような障害者は、左手がない状態で生まれ、それを当たり前として生きてきた。それは、健常者が左手がある状態を当たり前と思うように。だから、左がなくてもある程度のことは行えるようになる。障害者の助けになることはその人たちの生活や性格をよく知り、不便だと思っている部分を察して手を添えてくれるような人だと思っている。それは、簡単なことではない。自分が助けたいから助けるというのは、ただのエゴなんじゃないんだろうか。
今日も斜め前の席の人は学校に来ていなかった。


高校生の時
「左手がないのってどんな感じ?やっぱ不便なの?」
随分あけすけに物を尋ねてくる人だと思った。
他のクラスメート達は微妙な距離感で接してくれた。自分の性格に明るさとユーモアがもっとあったら、自分の回りの人たちとの関係性も変わっていたかもしれない。



就職の時
「障害者」という枠で就職が決まった。日本には障害者雇用法という法律があり、日本の企業には障害者の雇用率が定められており、雇用率を達成していない企業は納付金を納めなければならないらしい。僕は「能力」を買われたのではなく、「障害」を買われたみたいだ。こうでもしないと、障害者の働き口をぐっと減ってしまうため、批判をすることはできないが、商品として値段が付けられマーケットに出されるという、商品の気持ちに近づけるような不思議な経験をした。



癌を患った
大腸で発生した癌細胞が他の臓器にも転移してもうどうにもならないらしい。余命は半年と言われた。
家に一時帰宅した時に両親が
『どうして神様はこの子に何重にも苦しみを与えるの?』
と泣きながら話しているところをたまたま聞いてしまった。その苦しみを一番に背負っているのは両親なんだなと感じた。




障害のせいなのか性格にせいなのか人生で楽しいと思える瞬間は普通の人と比べて少なかったのではないかと思う。それでも、ただ一人親友と出会えたことが自分にとって大きな財産になったと思う。思うなんて言ったら断定しろと怒られるだろうか。次生まれ変わって同じような関係を築けるのなら、また、左手がなくてもいいかもしれない。


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