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舞台と映像作品の”いいトコ取り”を試みる意欲作 帝国劇場『ガイズ&ドールズ』初日

これは、映画ではないか。いや、映画だろう?
ちょっと言いすぎか。いやでも、かなりはっきりと制作者は意識してるはず。

帝国劇場で上演されるミュージカル、『ガイズ&ドールズ』。
事前に聞いていたざっくり情報は、2組のカップルの恋の行方を追う、ハッピーエンドで観た後幸せな気分になるミュージカル、というものだった。

そんなイメージを抱いて、事前情報抜きで帝国劇場に向かった私の度肝を抜いたのは、豊かな井上芳雄スカイの歌声でも、憎めない浦井健治ネイサンの情けなさでも、ひたすら可憐だがやんちゃな明日海りおサラでも、キュートでコケティッシュな望海風斗アデレイドでもなかった。

マイケル・アーデンの斬新な演出である。

全体的に

誤解を恐れずに言えば、この作品は大胆に舞台作品の概念を変える画作りを試みた、野心作だ。

こんなことを言い出したのは、オープニングやエンディングのせいだけではない。確かになんの説明もなしに舞台上に人々が行き交い、挨拶を交わしたり、地下鉄から上がってくる人がいたり。誰も一言も発することなく、平穏に朝のニューヨークの街が描かれるオープニングのさまは、とても映像作品的だ。

この作品はセリを多用する。
セリを使用することは、映像作品における「カットを割る」ということと同値である。セリから誰かが登場した瞬間、どんな人もそちらに目が行く。セリの使用は、映像作品で言えば「アップで抜いた画像」を作ることに他ならない。舞台上に少人数を残してスポットライトを当てるのも、同じ意味を持つ。

舞台作品における「カット割り」は、演者が自分でコントロールするしかなかった。動きや声色、歌声で会場の注目を自分に集めるように仕向けるのだ。もっとも、そんな風にしたところで、結局観客がオペラグラスで観ているのは、自分の推し俳優なのだが。

本作は、舞台作品におけるオールドファッションな「カット割り」をスカイとサラが担当し、映像作品的な「カット割り」をネイサンとアデレイドが受け持っているという構成になっている。

特に映像作品的な「カット割り」は、ほぼアデレイドの独壇場である。
HOTBOXの場面だけではない。彼女の楽屋のシーンも、「カットを割っている」と言っていい。彼女のプライベート空間なのだから。

主軸であるはずのスカイとサラのカップルに、映像作品的な「カット割り」のメリットを享受する場面はほぼ、ない。彼らが関わるところでカット割りめいたことが行われるのは、たいてい救世軍の事務所に限定されている。だがサブストーリーであるはずのネイサンとアデレイドには、ふんだんに映像作品的な「カット割り」が用意されている。

演出のマイケル・アーデンが、主要キャストを挑発しているように感じる。
道具は用意したので、バランスを考えてやってみて?とでも言っているかのようだ。

しかしながら私には、映像作品的なカット割り要素をネイサンとアデレイドカップルにほぼ集中させた理由が、初日を観ただけでは分からないのだ。

次回観に行くときはきちんと考えられるように、事前準備をしたい。

帝国劇場B席の印象

初めて帝国劇場のB席に座った。結論から言うと、「コスパ最高」である。
確かにステージは遠いが、帝国劇場の1階席前方は傾斜が緩やかで、前の人によってはほぼ見えないことが結構あるのだ。きちんと段差もあって、オペラグラスがあればほぼノンストレスで観られるこの席、気に入ったかもしれない。

グッズ売り場の混雑ぶりが異常

さすがにこれだけの人気者をそろえると、グッズ売り場の混雑ぶりが異常だ。30分待ってもほとんど進まない。何とか幕間の時間を利用して買えたが、現地でグッズ購入を検討している方は、早めに劇場へ到着できるようにいくことをお勧めする。

終わりに

まだ公演は始まったばかり。ある意味カットの奪い合いとも言える本作品で、主軸とサブストーリーの画的なバランスは、どんなふうに落ち着いていくのか?演者の4人に課された演出家からの難題に、どのような解答を4人が用意してくれるのか?

心躍る作品の幕が、上がった。
大千秋楽には行けないが、可能な限り見守りたい。

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