三浦春馬さん映画「天外者(てんがらもん)」を10倍楽しむために 論語と算盤感想
およそ人として、その生き方の本筋を忘れ、まっとうでない行いで私利私欲を満たそうとしたり、権勢に媚びへつらって自分が出世しようとするのは、人の踏むべき道を無視したものでしかない。それでは、権勢や地位を長く維持できるわけもないのだ。 ーちくま新書「現代語訳 論語と算盤」より
渋沢栄一は、事業をするにあたって儒教をベースにした商業道徳を重んじており、私利私欲のみで動く人物ではなかったことが、よく伝わる一節です。
五代友厚と並び、日本近代の実業家として大きな功績をもつ渋沢栄一は、武家の出ではありません。豪農の家(母は後妻)に生まれ、生来の利発さを持って勉強に励み、チャンスを掴んで一橋家の家来となりました。その後フランスへ遊学し、帰国後は大蔵省の役人となっていますが、五代友厚と同様「日本の近代化には殖産興業が不可欠」と考え、実業家となります。
読んでみて、五代友厚との違いは、農民出身であるにもかかわらず懸命の勉強で身を立てたことで、働く人々の実際に即した事業の進め方が出来たことなのかなと思いました。五代友厚はもともと薩摩藩の武士ですから、理想の姿を打ち立て、いきなり完成形を作ってしまおうとすることが多かったようです。よくも悪くもスケールが大きすぎ、収支のアンバランスさを無視してでも大義の実現を目指す、と言った事業を何度か展開しています。
渋沢栄一も五代友厚も、幕末から明治にかけての知識階級の一般的な教養として、論語がベースにあるためか、事業の目的はあくまで私欲のためではなく、国益のためと繰り返し言っています。
2人とも「富国の使徒」と呼ぶにふさわしい偉大な事業家であることがわかると同時に、自分だけが儲かればそれで良いという考えとは遠いところに精神があって、その精神に従ったからこそ今の日本があるのだなと、感じ入るものがありました。
さて、三浦春馬さんは五代友厚を演じるにあたり「論語と算盤」を読んでいるようです。直接五代友厚の事に触れているわけではない「論語と算盤」ですが、同時代の実業家である渋沢栄一と五代友厚は交流もあったようですし、当時を駆け抜けた事業家の思考を学びたいという思いだったのかもしれません。彼のお芝居に論語のエッセンスがどのように生かされているのかも、楽しみの一つになりました。
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