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10回目の3.11 ミュージカル「GHOST」に魅せられて

皆さんは、「ゴースト/ニューヨークの幻」という映画を覚えておいでだろうか。

もしかしたら、お若い方には「コンフィデンスマンJP ロマンス編」でジェシーとダー子がろくろをする回想シーンの元ネタ、と言った方がピンとくるかもしれない。本作は、若き日のデミ・ムーアの代表作で、日本でも大ヒットを記録した、1990年公開の純愛ストーリーである。

と、思っていたのだ。今回、このミュージカルを観るまでは。

2018年に映画「ゴースト/ニューヨークの幻」をもとに、初めてミュージカルとして公開された「GHOST」は今回が再演となる。主演のサムを務めるのは初演と同じ浦井健治さん。映画ではパトリック・スウェイジ(故人)が演じている。

あらすじ

ニューヨーク・ブルックリンにある古いけど広いロフトを手に入れて、二人の理想の暮らしを始めていた銀行員のサム(浦井健治さん)と芸術家のモリー(桜井玲香さん)。ある日、暴漢に襲われてサムが亡くなってしまうが、それはサムの同僚・カール(水田航生さん)の陰謀で・・・

私の覚えていた「純愛ストーリー」というのは、作品の一面でしかなかった。実際には、幽霊とこの世に残された恋人という、重たくなりがちなストーリーの根幹に、カールの陰謀というサスペンス要素や、オダ・メイの存在というコメディ要素もプラスされていたのだった。

むしろカールが犯していた罪が、物語の重要なポイントだったことが、すっかり頭から抜け落ちていた。

肝心のラブストーリーとしての出来は、記憶にある通り本当に秀逸だった。また、映画を観なおしたくなるほどだった。

浦井健治さんのサムには「笑い」の要素も

浦井健治さんは「五右衛門ロックⅢ」「天保十二年のシェイクスピア」で拝見しているが、私のイメージは「実力あるミュージカル俳優」で「王子様」という感じ。今回のサム役も、いきなり命を奪われ何が起こったのかを理解できぬまま、亡くなってなお恋人を心配し、彼女を守るという役どころだ。そこはかとない「理想の男」感を漂わせている。

オダ・メイがインチキ霊媒師をやっているところに現れて彼女に話しかけるサムが、実にコミカルだ。モリーに話をしに行ってくれともちかけ、行かないと言うとおかしな歌を耳元で歌い続ける。その歌の声がまた、ついクスっと笑ってしまうような声なのだ。

絶妙な間で、面白いセリフを吐くサム。映画では観られなかった滑稽さが加わって、なぜか思わずサムを応援したくなってしまう。

予想以上のモリー

モリーは今回Wキャストで、私が観たのは桜井玲香さんの回だった。宝塚出身の咲妃みゆさんでもぜひ観てみたかったが、小さく細い体でのびやかな歌声を聞かせてくれた桜井玲香さんに敬意を表したい。

突然恋人を失った悲しみ、受け入れがたさ、オダ・メイから話を聞いて警察に行くときの藁をもつかむような気持ち。

前を向きたいけど、向けない。そんな複雑な感情を、歌でもお芝居での表情でも存分に表そうとしてくれていたように見えた。

実際、サムとモリーが愛を確かめ合うシーンでのデュエットは、聴きごたえ十分だった。

わたし的注目ポイント・森公美子さんのオダ・メイ

そして、今回私が何といっても注目したのが、森公美子さん演じる霊媒師オダ・メイである。

オダ・メイがメインで歌うシーンは大きく2つあるのだが、その2つともが派手なショーを観ているようで、すごくすごく楽しかったのだ。勝手にリズムを取って、身体が動いてしまうぐらい。よく皆さんおとなしく座って手拍子だけで済むな、と思ってしまったくらいだ。

思わず歓声をあげてしまおうかと思ったほど、どちらのシーンもパワフルで魅力的だった。アンサンブル女優さんまでも、だ。

で、帰ってから映画でオダ・メイ演ったの、誰だっけと思って検索してみたら、ウーピー・ゴールドバーグだった。どうりで。彼女が本作以降、コメディエンヌとしての才能を開花させていくと知っている身としては、オダ・メイにウーピー・ゴールドバーグを配した人に、心からの拍手を贈りたくなる。

元々オダ・メイはコメディ要素の強い役だったのだなと納得しつつ、この役は日本だと森公美子さん以外に誰も演じられないのではないか、と唸ってしまう。

それほど、メインで彼女が歌うシーンは楽しげでパワフル、普通に演じているシーンはコミカルで、時に温かい。文句のつけようがないオダ・メイだったのだ。

浦井健治さんのサムを観に行ったつもりだったのに、私が魅了されたのは森公美子さん演じるオダ・メイの歌と踊りとお芝居だった。

私はまだまだ、ミュージカルを観たりないので、公演に行くたびに新たな発見があって、とても楽しい。これだから、ミュージカルはやめられないのである。

おわりに

10回目の3.11。
身バレが怖いので詳しくは書かないが、私は都内某所のビルの23Fで働いていた。大きな揺れに恐怖を感じ、デスクの下にもぐって、はい出たらまだ揺れていた。免震構造のそのビルは、ずっと横に揺れていたのだ。

気持ち悪くなりながら、階段を下りて、会社を後にした。最寄り駅は封鎖されていて電車が動かない。タクシー乗り場は長蛇の列。おまけに道は大渋滞で、全く車が動いていなかった。

それでも、まだ小さかった子どもたちが心配で、歩いて数十キロの道のりを帰ろうとした、10年前のあの日。夫は早々に帰れないと決めてしまい、私だけが心配しているのだから早く帰ってやらないと、と必死になった、10年前のあの日。

そして、2020年7月18日。敬愛する表現者・三浦春馬さんに起きたこと。

私は、大好きな人が無事で、元気に暮らしていることがどれだけ奇跡的なことなのかを、実感している。大好きな人には、普段から惜しみなく大好きだと言ってあげなくては。元気で暮らせるよう、全力で出来る限りのサポートをしなければ。日々そう思うようになった。

そして偶然、10回目の今日に「GHOST」を観た。
モリーの立場に、大切な人を失った人の悲しみが重なって見えた。

サムのように、伝えたいことや守りたいものがもしあるのなら、天国と地獄の間にいて「僕はここにいるよ」と言ってくれていたらな、とつい思ってしまう。

ラストの、サムとモリーの別れ。
「じゃ、また」と言うサム。
おそらく宗教的に、輪廻転生を信じていないであろうアメリカ人には似つかわしくない、「じゃ、また」。モリーはどう受け止めたのだろうか。

愛する人が、自分を心配して全力で危険から守ってくれた。そして、思い残すところなく天国へと旅立つ。

劇場に、もし震災で愛する人を失った方がいたら、癒されたに違いない。そんな作品だった。

偶然とはいえ、10回目の3.11にこのミュージカルを観ていたことに、不思議な縁を感じながら、ゆっくり駅まで歩いた。電車はいつもと同じように動いていた。

何事もなく無事、家路につく。帰り着いた私に、家族が「おかえり」と言う。
なんでもない、普通の一日だった。

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