誰かと生きるということ〜西園寺さんは家事をしない2話を見て

今期推しドラマのひとつ
「西園寺さんは家事をしない」

2話でついに偽家族の話題が出てきて 
そこに至るまでに、西園寺さんが「誰かと生活すること」について考えるシーンがあった

気をつかう、つかわれる
家族じゃないから、してもらったら気をつかってしまう。でも家族には気をつかはなくて良いのか?とはまた別問題。

ひとりで生きる楽さと誰かと生きる楽さ
どっちもあるよなぁって改めて気付かされた

私は他人に心を開く速度が遅い
苦手なタイプの人にはその人が良い人であっても数年かかるし
学生時代も仲の良いグループ以外の人には
外側だけの作り物の自分しか見せていなかったように思う

会社でも完全に仕事用の自分
それ以上踏み込ませたくなくて心の中では一線引いてしまう

親や仲の良い友達にはある程度本音で話せるけど
どの類の話でもさらけ出せるかと言われればそうでは無い

こちらが相手を求めなければ終わってしまう関係性も少なくないと思っている


だから恋愛も難しいし結婚もしないんじゃないかと思っている

誰かに心を見せるハードルの高さより
ひとりでいる楽さをとってしまうから

誰かと一緒に生きる選択をした方が
楽だと思えたり
この人とならという人に出会う可能性は捨てたくないけど

そんなことを思いながら
毎週火曜日、このドラマを楽しみに生きる

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