ランキングがコミュニティに受け入れられるために必要な「共通感覚」について

世の中興奮することっていっぱいありますが、一番興奮するのはやっぱりランキングが発表されたときですよね。

先日、EMageさんという方がスマブラSPの最近の大会結果を集計してランキングを作ってくれました。ランキング作成の大変さは人一倍分かっているつもりなので、作ってくれたことに頭が下がる思いです。

それに対して、私はちょっと不穏なツイートをしました。

この記事ではこのツイートの補足を、前半の「多くの人が納得のいくランキングは作れない」と後半の「それでもシードは必要だから困ったね」の部分に分けてしたいと思います。

「多くの人が納得のいく形のランキングはまだしばらく作れそうもない」について

さて、EMageさんが作ってくれたランキングですが、これがすぐにコミュニティから「標準的な日本のランキング」として受け入れられるかというと恐らくそうではないですし、ご本人のnoteでも思ったより反響が大きくて驚いている様子でしたので、作った本人もそうは思っていないはずです。これはどうしてかと考えてみると、単に大会結果数が少ないとか、計算式が洗練されてないとか色んな理由が考えられると思いますが、なかなか一言では言い表すのが難しいと思います(ちなみに、計算式の観点で言えば私が作った最初のランキングはかなりお粗末です)。私の意見は、ランキングが浸透しない理由は表題にある「ランキングが受け入れられるための人々の共通感覚」が整っていないから、だと思っています。いきなり共通感覚だのなんだの言われても意味が分からないと思いますし、私自身もやっと言語化できたところなので、できるだけ丁寧に説明しようと思います。

プレイヤーの強さに関する共通感覚

ランキングというと、計算式で計算されたものであったり、あるいはスポーツのMVPのような獲得票数で決められたものだったりを想像するかと思いますが、そもそもそのようなランキング作成の方法論以前の話として、「多くの人々が"プレイヤーの強さに関する共通感覚"をどのくらい共有しているか」の度合いがあって、この度合いが低い場合はどんな方法でランキングを作っても人々に受け入れられない、と思っています。

簡単な例として、100人に「あなたの思うプレイヤーTop50を思い浮かべてください」と質問したとします。このとき、100人全員が同じようなTop50のランキングを思い浮かべていたとしたら、それは「ランキングを受け入れる共通感覚」が整っている状態だと言えます。

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多くの人がプレイヤーの強さ感覚を共有している=ランキングが受け入れやすい状態

逆に100人全員が全く違うランキングを思い浮かべていたとしたら、これはもうそもそも人々がプレイヤーの強さに関する共通感覚を共有していないので、どんな方法でランキングを作っても受け入れられないでしょう。「受け入れられない」とは言い換えると「どんなランキングを作っても四方八方から文句が来る状態」であるということです。

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人々がプレイヤーの強さ感覚を共有していない=ランキングが受け入れられない状態

スマブラコミュニティの例で言えば、コロナ禍以前は人々が共通したプレイヤーの強さ感覚を持っていたので、私が作ったランキングは(よく見ると結構拙かったにもかかわらず)受け入れられましたが、コロナ禍真っただ中の現在は人々が共通感覚を持っていないので、たとえどんなに高尚な理論で作られたランキングであっても人々に受け入れられることは無いと思います。

共通感覚はどのように出来上がるか

じゃあその共通感覚はどのように出来上がっていくのでしょうか。ぱっと思いつくのは大会の回数だと思います。これはつまり、ある人の1,2回の大会結果が良くても、その人が本当に強いと思う人と、単なるまぐれかもしれない人とがいて共通感覚が整いませんが、100回好成績だったらさすがにまぐれだと思う人もいなくなって人々の共通感覚が揃ってきます。ただ、多ければよいというものでもなく、また競技によっても共通感覚が整うのに必要な試合数も変わってきます。

例えば、陸上の短距離走や競泳のようなプレイヤー同士の駆け引きが(ほとんど)なく運要素の少ない競技であれば、少ない結果でも人々の共通感覚を養うのに十分だと言えます。球技でも、例えば野球よりサッカーの方が番狂わせの確率が低いとされているので、サッカーの方が優劣を決める試合数が少なくてすむようです(ワールドカップの決勝戦ですら1本先取ですね)。

極端な例として「さいころを1000個転がして合計目の多い人が勝ち」みたいな競技を考えてみると、これは単なる運ゲーなので毎回勝つ人がバラバラになり、1億試合やろうとプレイヤーの強さに関する共通感覚は生まれません(「やっぱ運ゲーだね」という共通感覚は生まれますが)。

また、回数が多ければそれで良いというわけでもありません。また極端な例で申し訳ないですが、例えば地球と火星でそれぞれ100回大会が開かれたとして、地球人と火星人を混ぜたランキングは作れるでしょうか。この例では、地球内と火星内での強さの共通感覚は十分ですが、地球と火星間の共通感覚がないので、まともなランキングにはなりません。重要なことは、これでも何らかの計算方法でランキングが作れてしまうということです。例えば、129~256人の大会で優勝したら〇〇ポイント、257~512人の大会で優勝したら△△ポイント…といった具合にルールを作って計算すれば一応ランキング自体は作れますが、こういった方法で作られたランキングは結局地球と火星間での強さを表現できません。数が少なくても地球人と火星人が両方参加する大会があれば何らかの方法で作れそうですが、地球と火星の間に交流が無いかぎりは両者の比較は本質的にはできません。極論のように聞こえるかもしれませんが、コロナ禍によって移動が制限されている昨今ではこれと似たような状況になっていると言ってもいいでしょう。(余談ですが、FIFAランキングはこの例と似たような状況になっていて、大陸内の試合に比べて大陸間での試合が少ないので大陸を跨いだ国同士の比較が難しいです。)

ちょっと毛色は変わりますが、「公平さ(フェア)」みたいなものもとても重要です。例えば、コロナ禍という状況はどう影響するでしょうか。地域によって大会や移動が制限されたり、煩わしいマスクが必須だったり、勤務先の制限によって大会出場を自粛せざるを得ないプレイヤーがいる、などの状況がフェアと言えるでしょうか。コロナウィルスに対する反応も千差万別で、常に消毒液を持ち歩く人から風邪と割り切っている人まで様々です。こういう不公平さが感じられる状況下では、人々の共通感覚が生まれにくく、ランキングも成立しずらくなります。

もっと言えばランキング自体が共通感覚を形作ることにもなります。「共通感覚が揃ってなければランキングが受け入れられないのだから矛盾してるじゃないか」と思うかもしれませんが、ランキングと共通感覚は相互依存していると思います。鶏が先か卵が先か、の話のようですが、実際古くからある共通感覚が時間の経過によって実態を伴わなくなることがしばしばあり、そういうときにデータに基づいたランキングなどの指標によって共通感覚がアップデートされることがあります。スマブラの例で言えば、スマメイトのレーティングに関する共通感覚は、少し実態と離れつつあるな、と思います。一般にレーティングによるランキングでは、競技人口が多ければ多いほど上位のレートが高くなります。そのため同じ「レート2000」でも、競技人口によって全体で10位になったり100位になったりしますが、この2000という数字のキリの良さから「レート2000=超上位プレイヤー」という共通感覚が実態(上位何位に位置するか)とずれていってると感じます。

野球においても、打率3割とかHR数30本、みたいな指標で選手を評価しがちですが、同じ3割や30本の価値も条件によって大きく変わることがあり、共通感覚と実態(=本当のプレイヤーの実力)がずれがちなようです。この感覚と実態のずれを見抜いて過小評価されている選手を効率的に集めてチームを強豪に作り上げた物語が「マネー・ボール」で、その手法がセイバーメトリクスと呼ばれています。セイバーメトリクスは"革命"と呼ばれるほど人々の共通感覚をアップデートし、いまやプレイヤーを評価する優れた手法として当たり前に使われています。

話しが逸れましたが、このように多くの要素が人々の共通感覚形成に関わってきますし、上で挙げた以外にも、我々が普段意識しないだけで他にもたくさんあると思います。この共通感覚が整ってはじめてランキングが受け入れられて、それに応じてプレイヤーや大会もランキングシステムを意識しだす、といったサイクルが生まれるのだと思いますが、コロナ禍の今は共通感覚が生まれにくいのでそういったことは起こらないだろう、というのが私の考えです。

大会のシードはどうするのか

人々の共通感覚が無い状態でも大会は開かれ、大会が開かれればシードを決める必要があります。

確認のため用語説明から入りますが、シードという言葉は一般的に「1回戦免除」的な意味で使われることが多いですが、ここでの意味は有力プレイヤー同士は大会序盤で当たらないようにトーナメント上に配置する仕組みのことを指します。例えば、シード順1とシード順2のプレイヤーは決勝まで当たらないように、シード順2とシード順3のプレイヤーは準決勝まで当たらないように…といった具合です。challongeやsmashggなどのトーナメント運営ツールを使えば、有力プレイヤーを強い順に並べれば自動的にトーナメント上に配置してくれるので、単純に言えばトーナメント管理者は大会参加者を強い順に並べることで大会終盤に有力プレイヤー同士のカードになるトーナメントが出来上がります。

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16人トーナメントの例。Possibly Wrongより

つまりシードはおおよそランキングと同じようなものであるわけです。記事前半で述べたように「今はコミュニティに受け入れられるランキングを作るのは難しい」のですが、良い大会にするには「有力プレイヤー同士が当たらないようにプレイヤーを強い順に並べる」必要があるのです。つまり何が起こるかというと「どんなシードを作っても受け入れられない(=四方八方から文句が出る)」状況です。

個人的にはあんまりいい解決策とかは見えないので、これからしばらくはシードに関していい感触が得られない状態がずっと続くだろうと思います。強いて言うなら、海外の大型大会でよくある「トーナメントを公開してからプレイヤー側からの組み合わせに関する主張を受け付けて、主張が理にかなったものだったらトーナメントを組み替える」という仕組みを使えば少しは良くなるかもしれません。シードはトーナメント管理者側が一方的に決めるものではなく、プレイヤーとともに作り上げるものという意識が必要かもしれませんね。

おわり

ワクチンなどのおかげか、ようやく光明が見え始めたかに見える昨今ですが、スマブラ競技シーンが平時に戻るにはもう少し時間がかかりそうな気がします。特にランキングとシードに関しては、競技シーンが十分にフェアと言える状態からある程度時間が経たないと共通感覚が育たないので、以前のような状態に戻るまではもうしばらく辛抱が必要そうです。

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