コロナ禍のアメリカ大学スポーツ

皆さんこんにちは、この記事をクリックしていただきありがとうございます。今日はアメリカでの生活、特に私が関わっている大学スポーツがコロナウィルスの感染拡大によってどのように変わっていったか私の経験をご紹介したいと思います。


先日、amazon prime videoで見られる「All or nothing: Tottenham Hot spur」での一話で英国プレミアリーグがコロナウィルス感染の影響をどう受けたか取り上げられていたので実際にその時期私が経験したことを思い出しました。

amazon prime videoのリンクはこちらhttps://www.amazon.com/gp/video/detail/B08G1YFFZ4/ref=atv_dp_share_cu_r

私の強烈な印象に残っているのは昨年の3月から夏にかけてとてつもない早さでアメリカの生活文化、習慣がこのパンデミックによって変わっていったのを目の当たりにしたことです。


最初は1,2月にアメリカでも新型コロナのニュースが頻繁に報道されるようになり、特に大学の春学期が始まった頃から一緒に働くドクターがアジア圏からの留学生の体調不良についての対応などを話しているのを覚えています。ただ、このときはまだウィルスを判別するためのテストなどは出回っておらず対応する医療関係者も困惑している印象でした。担当している野球チームへは手洗いと衛生管理の徹底を促すのみでこのときはマスクの着用などは誰一人していませんでした。


状況が大きく変わったのは3月の中旬だったと思います。週末の遠征試合に向けてデラウェア州へ向かっているバスの中でした。この時期になるとアメリカ国内でも少しずつ感染者が出始めてきており、万が一チームで体調不良者が出た場合に備えてマスクや隔離用の部屋の準備をコーチと話をしていました。途中立ち寄ったスーパーマーケットで消毒用のアルコールや除菌シートを買おうと思ったのに全て売り切れ状態で赤ちゃん用のシートしかなく仕方なくそれを購入したのをよく覚えています。

それからバスに乗り込み、目的地まで半分ほどきたところでヘッドコーチが誰かと電話で話し込むのが見え、その後チーム全体に週末の試合全てが中止になったと告げられました。遠征先の大学で初のコロナ感染者が発見され、その大学側からの要請で中止になったと記憶しています。このときはまだこの週末だけが中止で翌週から始まる予定だったカンファレンスの試合は予定通りやるので戻って練習か他の大学と急遽練習試合を組むかコーチたちが議論していました。
大学に戻る途中、今度は自分たちの大学のAthletic Director、運動部を取り仕切る部門の中の責任者からヘッドコーチに4月上旬まで全てのスポーツの試合の延期がカンファレンスレベルで決定されたとの報告がありました。この時から事が深刻になり選手やコーチの雰囲気も暗くなってきたように感じました。大学に戻りその日は追加の発表があるまで解散となりました。私も4月からまた試合が再開されるのに合わせて怪我をしていた選手と復帰までのプランを話しあって家に戻りました。




そこからの状況の変化は今思い出しても目まぐるしいほどのスピードでした。数日後には正式に春シーズンのすべてのスポーツが中止に。突然プレイする機会を奪われた選手たち、特に今年が最後のシーズンとなった最上級生の気持ちを考えると今でも胸が締め付けられる思いです。

それと時を同じくして住んでいる州の感染状況も悪化していたため不要不急の外出は禁止となりいわゆるロックダウンの状態となりました。それでも選手たちとは電話やメールで連絡を取り合っていたことで彼らや彼らの住んでいる地域、家族の状況を知ることでコミュニケーションの繋がりを断つ事なく仕事を続けることができました。


そこから夏にかけての4,5ヶ月は家でできる仕事を続けながら再度スポーツを再開ができる状況まで待つのがひたすら長かったように感じます。周りにはこの間一時帰休や解雇されたアスレティックトレーナーもいた中、仕事があったのは幸運だった以外の何物でもありません。



9月に大学生が戻ってきた後も感染に気をつけながら練習再開前の身体検査の実施、練習に関するプロトコルの作成とそれの周知徹底などがすべて手探りの状態でした。試合がないにも関わらず、新しい事づくめでとても忙しくも充実した秋学期となりました。



現在は秋に中止となったスポーツも含めた春シーズンに向けての準備中ですが今から挑戦に満ちた新しい困難の連続となっています。


簡単に昨年春からの流れをまとめてみましたがいかがでしょうか?今覚えばロックダウン期間中にもっとやっておけば良かったなと思うこともありますが時間がありすぎると使い方が雑になってしまうのは昔からの悪い癖です。



最初に書いたようにこの短期間でアメリカは目まぐるしいスピードで自国の文化や習慣に変化を加えましたがそれに適応し、ワクチン開発を始め事態への対応能力は凄まじいものがありました。それでも世界最悪の被害状況なのには変わりありませんが。


この記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?