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生きていたんだよな

あいみょんの「生きていたんだよな」
高校生の頃、いや中学生?の私はこの曲を聴くのを避けていた。

二日前このへんで
飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた

血まみれセーラー 濡れ衣センコー

たちまちここらはネットの餌食

「危ないですから離れてください」
そのセリフが集合の合図なのにな

馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった

冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない赤さが綺麗で綺麗で

泣いてしまったんだ

https://lyrics.lyricfind.com/

この曲の冒頭の部分。
当時の私には生々しく、記される言葉のままの映像が頭にこびりついて離れなかった。
人はこうやって死んでいくのか。誰が彼女の死を悲しんだのだろう。
自ら命を絶つことの恐怖は、想像できない。できるなんて口が裂けても言えない。

私はこの曲を聴いた時から、死について軽々しく話せなくなった。
「生きていたんだよな」にはそれくらいの衝撃があった。

大学生になって

いつだったか、夏の終わりくらい。ちょうど今くらいの時期だ。
友達10人くらいでカラオケに行っていろんな曲を歌って、盛り上がっていた。
ふと、「生きていたんだよな」が流れ出した。

「え、なんでこんな盛り上がってるのにこの曲?」
言いたい気持ちをグッと堪えて、聴くことにした。

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな

新しい何かが始まる時
消えたくなっちゃうのかな

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて
綺麗事だな。

精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ

https://lyrics.lyricfind.com/

あいみょんが、
立ち入り禁止の黄色いテープの外側にいた誰かが、
彼女の死について想像しているのだろうか。そんな風に取れる歌詞だ。

聴くのを避けていた私に叱責してやりたい。

あいみょんはただ、現代チックな"生々しい死"について曲を書いたわけではないのだろう。
"死んでしまった誰か"に向けて、"死んでしまいそうな誰か"に向けて書いたのだと、私は感じた。

彼女には「死」しか選択肢がなかった。

私はどれだけ追い詰められても「死」だけは選択肢にない。
この違いはなんなのか、私たちは考えなければならない。あいみょんからのメッセージをこの時初めて受け取った気がした。

あいみょんが19歳でこの曲を書き上げたと思うと、悔しくなった。カッコ良すぎる。
一体、なにを経験してきたんだよ。
21歳の私。ちいさいなぁ。

生きる上で必要なこと

10年後この文章を読んで笑っちゃうんだろうな。
たかが、21歳の私が必要だと思うこと。

これは私と同年代かそれより下の子たちに向けて。もしかしたら、上の人たちにも伝わるところがあるかもしれない。

よく大人たちは、
「遊べる時に遊んだ方がいい。学生のうちが華だぞ。」って言う。
そんなこと信じて、遊び呆けてはいけない。

とにかく本を読もう。曲を聴こう。他人と関わろう。

つまり、自分とは違う多種多様な価値観に触れてほしい。
考え事を自分だけで完結するのだけは辞めてほしい。
辛い時、人は孤独に感じるものだ。周りの人、環境、全てが憎く感じる。頼りにできる人なんていない。真っ暗な世界。少し前の私がそうだった。
でも、生きてる。
それは、私の世界には大切にするべきものがあると気づけたから。

「多様性の時代だから、私は私らしく生きる。」
こんな言葉が主流なことが私は腹立たしい。
せっかくの多様性だ。
たくさんの価値観を知ろうよ。
1人では思いつかなかった素敵なアイデアが見つかるかもしれないよ。

春キ宵が目指す世界は、人と人が支え合える世界だ。ありきたりだけど、本気で見てみたい。
誰も他人を傷つけない。誰も傷つかない世界。
どこで、どうやったら、私は誰かを救えるの?
あいみょんのように曲を作れるわけではないし、これといった才能もない。

いつか必ず。

p.s.でも辛いことがあるからこそ、人は成長できるのも事実だから、困ったなぁ。生きるって難しい。

春キ宵

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