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2020.10.16 過去までの距離

昔のことを思い出す時、
その記憶とは距離があることに気づく。
時間も、ある種の距離なんだと思う。

距離があることで余裕ができる。
すると、見えなかったものが見えてくる。
ある意味では解像度が荒くなったとも、
当時重要だった視座が欠けてしまったとも言える。

だとしても、
時間が経ち、いろいろな時代の自分を内在化した今の自分は、
新たな視点、もしくは、
当時は立たなかった視点からそれを見ることができる。

それを、なんて都合がいい生き物なんだろう、と
嘆いてしまうのだけど、
同時に、これは単に距離があるものに対して接し方が変わっただけであって、
それが過去の自分だから、とか、
そういうことではなく、
例えば今地球の反対側に思いを馳せたとして、
その思いが毎秒変わってしまうことに切なくなる必要もないのだから、
これは単に距離があるものに対して考え方が変わっただけであって、
嘆く必要はなく、
都合がいい生き物だなんて自分を蔑む可能性はなくていい。

それにそもそも、新たな視点だなんて思う必要があるだろうか。
視点には新しいも何もないのではないか?
ただ別のアングルから捉え直しただけなのであって、
そこに起こっている事象が変わるわけではない。

つまり、
記憶の中で起こるその事象を捉える「様々な視点」というのは既に存在し尽くしていて、
ただ今現在の自分が、事象を覗き込むアングルを変えただけなのではないか?

ジャングルジムのまんなかに
まっかなりんごが落ちていた
空は何かを切り取った
僕も何かを切り取った
大人になっても忘れないよう
スケッチ書いたの見てよママ

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