見出し画像

推し様のようになりたいが、今はミミズでよい

わたしには敬愛する推し俳優さんがいる。
舞台役者さんである彼は、演技中には圧倒的な存在感を見せるが、ひとたび役を離れると、控えめで、俺が俺がと前に出ず、にこにこして皆を見ている人だ。
自分語りはせず、話し手の顔をじっと見て、絶え間なく表情で相槌を入れる。
いちいち太鼓持ちのように「へー」「すごい」を連発するよりも、彼の表情筋の動きを見ている方が、よほど話を真剣に聞いてくれていることが伝わる。
そんな彼を知る人は、皆、彼のことを「仏」とか「神」とか称して敬愛する。
彼は人の悪口を言わないし、決して怒らない。
怒るという感情を持たないらしい。
複数の人間がいるときはほとんど発言せずただニコニコして、求められた時にだけ巧みな機転のきいたツッコミを入れる。
空気のようにそこにいて、時としてスパイスを与える感じだ。

そんな彼の一番凄いところは、褒められた時に「そんなことないです」とか「いやいや、とんでもない」とか、無駄な謙遜をしない点だ。
話している相手から褒められると、にこにこしたまま眉を上げて目を瞠り、軽い驚きの表情を作ってから素直に受け入れる。
にこにこして「ありがとうございます」と言う時もあれば、スルッと自然な流れで相手の誉めてくれたことに関する自分のエピソードを挙げたりすることもある。
これがとても感じが良いのだ。
決して驕らず、空気のように受け入れて、水のように流す。
その自然さが実に気持ちいい。

わたしは『誉められて伸びるタイプ』であるにもかかわらず、誉められた時の対応が分からず、ついつい大袈裟に謙遜してしまうのだ。
してしまってから、卑屈に見えたかなとか、却って嫌味な感じに捉えられたかなとか、とってつけたようだったかなとか、あとで深く落ち込む。
実際、わたしが謙遜したあとの空気というのが、あまりよくない気がするのだ。
せっかく誉めたのに、その相手がムキになって否定してきたら、誉めた方もそのあとの話の持っていきように困るだろう。

いつもそれをやらかしては落ち込んでいたわたしにとって、推し様のそれは、神対応としか見えない。
それやん、わたしのやりたかったことは。
そう思い、自分もそうありたいと願うが、なかなか実現はできていない。
半世紀にわたって染み付いた卑屈な根性が、抜けてくれないのだ。
誉められた時、自分の嬉しい気持ちに狼狽えるのではなく、素直にさらっと「ありがとう」ろ言えたら、お互いに気持ちがいいに違いない。
少しずつでも、そんなふうになれたらなと、日々精進中。
ああ、推し様のモットーは『日々前進』だ。
それを体現し続ける推し様にあやかって、わたしもミミズのごとく前進したい。
時にジタバタとのたうち回り、時に干からびそうになり、時に地中深く隠れながらも、つくねミミズは頑張って前へ進みます!

わたしの敬愛する推し様―――それは、鈴木拡樹という人です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?