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鷲田さんのバトン

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鷲田清一さんの朝日新聞連載コラム『折々のことば」。 日替わりで、私の知らない人たちばかりが登場します。 鷲田さんは、読者と「彼ら」をつなげる役割。 だったら私は、「もっとつなげる… もっと読む
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当事者じゃないからこそ #鷲田さんのバトン

瀬尾夏美は、こんな人。 推察するに・・・ ・東日本大震災からわずか1年後に24歳で壊滅的な打撃を受けた被災地に3年間住み、 ・直後に「その土地を記憶にとどめる」目的でNPOを立ち上げ、 ・多様な組織と連携しながら事業を行う、 そんな人生を送っている方のようです。頭が下がります。 自分の人生を謳歌してもおかしくない年代に 最もきつい状況に置かれている地域に腰を据え 現地の人たちと活動をともにした。 そんな彼女は言います。 (記憶継承とは、本質的に、“当事者”ではない

大切な言葉は、覚えておく #鷲田さんのバトン

鷲田清一さんの朝日新聞連載コラム「折々のことば」が3,000回を超えました。 大切だなと思う言葉を、心にとどめておきたい。 誰もがそう思っていることでしょう。 残念ながら、私たちはそういった言葉を覚えておく努力を、あまりしません。「あ、いいな」と思っても、すぐにメモでも取らない限り、二度と思い出せない領域に追いやられてしまいます。 物書きを生業とする人は、きっとそうではありませんね。 たぶん「心にとどめておきたい」という気持ちが、他の人の数倍、強いはずです。それは、「

寝ている生徒を見かけたら #鷲田さんのバトン

トーン・テレヘンは、こんな人。物語作家です。 「眠ることは、ボクにとって仕事ですから。」 そんなナマケモノの声が聞こえてきます。 なので、彼が起きている時は「休憩時間」です。 一方で、ヒトは何かをしていないと、すぐに周囲から”ナマケモノ”のレッテルを貼られてしまいます。嫌ですね。 そんな私がかつて何度も見た、「この上ない充足」の光景が、これ。 眠るのは、 昨日夜更かししたせいかもしれないし、 生まれつき睡眠時間が長い人もいるし、 何より健康な生活リズムを作ってく

生きものには二種類しかない #鷲田さんのバトン

水木しげるは、鬼太郎のオヤジの親父。 生きものには、二種類しかない。 そして幸い、今は「生きてる」方に属している。 些細なことが気になり、 些細なことに一喜一憂し、 些細なことをどうにかしようとしている。 ほんまにオレはアホやろか。 現役高校教師 協会ページ https://t-c-m.my.canva.site/ ブログサイト https://sensei.click/ ポッドキャスト(Spotify) https://open.spotify.com/

それでもその気持ちがやまない理由 #鷲田さんのバトン

小池昌代は、こんな人。 誰であろうと、「かつて誰かに恋していた私」は、盛りを過ぎれば「私だけれど私ではない人」になってしまうだろう。あの頃の情熱は、甘美に歪曲されてしまっている。 とは言え恋は時に、人生のすべてを支配する。 老いた私にとって、その事実はとても不思議なことに思える。 誰かを恋い慕うこの気持ちがやまないのは、 私自身が変化するからであり、 世界が多様だからであり、 何より、 いつも「誰かに触発されたい」と願っているからだ。 現役高校教師 協会ペー

ほんのちょっとだけ覚えておく #鷲田さんのバトン

G・K・チェスタトンは、こんな人。 伝統とは、 長い時間をかけて 市井の人が紡いできたもの。 人は必ず死にます。 ならば、私たちが生きる理由は、「つなぐ」こと。 ただそれだけ。 そう思えば、 些事に心を痛めることもない。 人生に意義を無理やり見出す必要もない。 私たちは生き、そこに存在しているだけでいい。 ただし、ほんのちょっとだけ、覚えておくことがある。 あなたに縁ある「亡き人々」は、あなたに施してきた。 あなたに縁ある「未生の人たち」は、きっと、あなたの施しを受

勝手に消さないで #鷲田さんのバトン

金時鐘(キムシジョン)はこんな人。 日本社会において、沈黙は肯定。 だから、差別の傍観者は、無言の肯定者になる。 私自身、中学校での3年間、ずっといじめられてきました。 嫌なあだ名をつけられたり、 ばい菌扱いされ、近づけば逃げられたり、 ひどいときは、自転車のチェーンを壊されたこともありました。 ただ、そんな毎日でも、一緒に遊ぶ友人はいました。 しかし、友人たちは「傍観者」でした。 普段は一緒に楽しくやり取りをするのに、加害者たちの私に対するいじめが始まると、その

SNSに心がザワつくのは、誰もが同じ #鷲田さんのバトン

千葉望(ちば のぞみ)は、こんな人。 世界を正しく捉えたいなら、「遠近法」を間違えないこと。 千葉さんに限らず、多くの人はそう言います。 ですが、人は誰かと自分を無意識に比較してしまう生き物。結果、 「私は何も持たない」 「私には何もできない」 「あの人のように生まれたかった」 「美しくさえあれば」 「才能が豊かだったら」 「お金さえあれば」 そして、「それ」がさも”そこ”にあるかのように振る舞う。 いずれにしても、苦しさから逃れることはありません。 古文では、

最強の言葉 #鷲田さんのバトン

五百旗頭真(いおきべ まこと)は、こんな人。 ”猛り狂う暴力と限りない献身” 身勝手にふるまう人間性が露出するとともに、突然未来が見えなくなった人たちを勇気づけようという思いがそこかしこに現れる。 極限状況を避けたいと願うのは、苦しみを伴うからだけでなく、針が極端に一方へ振れる状況が「自然」ではないからです。 私たちにとっての「自然」とは、利己的な自己を晒すことでも誰かを一方的に支えることでもない。 自己や他者との距離を測りながら、相互依存的な関係性をはぐくむために

贅肉つきすぎ #鷲田さんのバトン

示威行為は好きじゃないです。それをする人も。 自分が常に正しいとは思いませんが、自分の考えにこだわっている自分がいます。 孔子は「五十にして天命を知る」と言いましたが、55歳の私は「自分に与えられた使命」が何であるか、いまだにわかっていません。 「四十にして惑わず」という言葉もありますが、その年齢をはるかに超えた私は、世の中の真理もわからず、自身の生き方も定まっていません。 寿命の短かった昔に生きた人たちはきっと、今よりもずっと若い年齢の時点で、自らがなすべきことを知

深海魚は必要に迫られているから。人間は生の重みを知っているから。 #鷲田さんのバトン

明石海人は、こんな人。 美男子、博学、資産家、ハンセン病患者、妻子との離別、醜化、失明、麻痺、歌への執着、38歳で夭逝。 波乱の人生。ですが、「人生は長さじゃない」と思わせてくれます。 そして、近藤宏一はこんな人。 10代でハンセン病発症。手指の欠損、失明、サングラス、ハーモニカ楽団、指揮者、83歳で逝去。 病を抱えての長寿。私には想像するしかありません。 近藤さんに師事した佐々木松雄さんは、こう言います。 重い病をアイデンティティの基盤に据えることなど、普通の

記憶に苦しむとき #鷲田さんのバトン

田近さんの言葉からは「戦時下においても勉強の価値に重きを置いていた当時の若者の心境」が窺えます。 「金銭という即物的なもの」には代えられないという強い思いも。 何より、自身の「働き」が少年兵の命を奪った「かもしれない」という呵責。 意に反する行為を行なった記憶に苦しむ人は、多いはずです。 「自分の信念を曲げることだけは、しない。」 実践するのは難しいけれど、誓うことから始めます。 現役高校教師 協会ページ https://t-c-m.my.canva.site/

せわしなくしているのは誰? #鷲田さんのバトン

星野道夫さんは、こんな人。 中3の教科書に随筆が載っているそうです。 極北近くに住む人たちにとって、自然の恩恵は想像以上の大きさ。 翻って、現在の日本に住む私たちは、小さな変化に一喜一憂しながらせわしない日々を生きています。 いえ、正しくは、私たちが「せわしなく」しています。 些細なイレギュラーを、許容できない。 結果として、大きな恩恵を体感できない。 コントロールできないできないものを気にしても仕方がありません。 そもそも「恩恵」をコントロールしようという発想が間

こんな相棒がいたらいいよね #鷲田さんのバトン

堤剛(つつみつよし)さんは、こんな方です。 音楽家、というより「今にも戦いを始めてしまいそうなおじいちゃん」。 河村尚子(かわむらひさこ)さんは、こんな方。 音楽家って、何歳になっても練習を続けるんだな・・・という当たり前の感慨を抱いてしまう。 「暮らしの中でももののいのちをまさぐる」って、いい表現だと思う。 料理人にとっての包丁。 大工にとっての幹のしなり。 音楽家にとっての楽器。 「その人」が一番長い時間をともに過ごして、 「その人」が常に細心の注意とともに働き