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センセイを捨ててみる。

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行き詰まる学校教育を変えるための、最適解。 それは、現場にいるセンセイが、センセイを捨てること。 今こそ、アンラーンする時です。 気軽に、ちょっとしたことから始めましょうか。
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#ケンロビンソン

著書紹介 #私について

こんにちは。「発信するセンセイ」です。 新潟県で教員をしています。 2022年12月に最初の本を書きました。 この本について、富山県で教員をなさっている能澤さんという方がレビューを書いてくださり、FBに投稿してくれました。 私の考えを知ってもらう契機になれば嬉しく思います。 ぜひお読みください。 能澤先生 ここまでが能澤先生によるレビューです。 以降は、上記レビューへの質問からどんどん広がっていったお話しです。 よかったらご覧ください。 K先生 わたし K先生

手段は合ってる。目的を忘れた。 #センセイを捨ててみる。

①私たち教師は、生徒を助けるために存在する。 ②よって、生徒と信頼関係をいかに築くかがカギになる。 ③教師と生徒との信頼関係の構築が最優先事項であり、それ以外の目的や手段は二番手以下に位置する。 ですが今は、「教師の存在意義」と「教育を成立させるための最優先事項」がおかしくなっているんです。 そういえば、 ここ何年も「生徒の助けになれた自分」を、感じていません。 生徒に学校のルールを守らせたり、 生徒の成績に見合った進学先を勧めたり、 保護者の意向を受けて生徒に働き

教育の守備範囲 #センセイを捨ててみる。

「政治家は、教育のことなどわからない。」 そんなことはない。 教育者から政治家に転身した例は少なくない。 教育の重要性を痛感し、自らの政治理念に据える政治家だっているだろう。 問題は「画一化を指向すること」だ。 ”みんな一緒”が「公平」で「平等」だと思い込んでいたり、 ”例外を許容できない”といった偏狭さが、本来の教育の行く手を阻む。 70億人、すべてが違う人間だ。 いや、100人でもいい。すべてが異なる。 「あの人」が例外なら、自動的に「あなた」も例外だ。 何より重

「ゴールは大学教授」の衝撃 #センセイを捨ててみる。

あなたは教師ですか? なら質問です。 公教育は何のためにある? 従来の学校教育は、過度に「読み書き能力」偏重でした。 つまり、すべての子どもたちに『大学教授になれ』と言わんばかりの働きかけをしている、ということです。 話者であるケン・ロビンソンは冒頭で、 「創造性は今や、読み書き能力と同じくらい教育において重要である」 と語っています。 従来の学校教育は、創造性を過度に軽視してきました。 そして、 「私たちが作った国家教育システムは、『失敗は最悪だ』と教えます。教育が