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新札は、感謝の気持ち。

人それぞれ、なんでそこに拘るの?という癖みたいなのがある。

私にとってのそれは「財布のお札は、新札で揃える」だ。

たぶんあれは大学生の頃、財布を長財布に買い替えたことがきっかけだったと思う。お札がまっすぐ入る財布になんとなく憧れていた時代。

入れるお金なんて全然無いし、だから使う頻度もすくないのだけど、だからか余計キレイなお札をしまいたくなったのかもしれない。だって長財布だよ?お札を真っ直ぐなまま入れられるんだよ?

とはいえ、実は新札を準備するのは結構面倒。

基本、銀行の窓口が最も安定して新札への両替ができるのだけど、銀行窓口は平日の、しかも15時までしかやっていない。つまりサラリーマンが行くのには結構しんどい。

だから、昼休みを使って銀行に行っていた。オフィス近くになければ、有休の日や、出張のついでとかに行く必要があった。

ちなみに一万円札ではすぐにたくさんのお釣り(=中古の紙幣)になってしまうので、必ず千円札を持ち歩いている。だからそれなりの枚数になるのも微妙に手間だったりする。

どんな千円札でも、本来価値は全て同じ。

だけどそれはお金のもつ通貨としての側面だけで、物としては「キレイな方が、汚いよりうれしい」と感じるのは本来、気持ちとしては普通な気がする。

例えば、書店で本を買う時に、角の折れた本ときれいな本があったら、誰でもきれいな方を買うと思う。角の折れた本は価値が下がって感じる。

だから同じ千円でも、「キレイな」千円は、ちょっと自分が嬉しくなれるだけのプレミアはついてるから十分価値があると思う。

今はめっきり機会が減ったけど、建て替えとかで人にお金を渡す時にはできるだけその新札を使うことにしている。新品の封筒を準備しておいて、その中に新札を忍ばせると、なんだかとても礼儀正しく感じて気持ちが良い。

人にお金を手渡しする時はたいてい建て替えてもらった場合なわけで、その時にきれいなお札で渡すということには、自分なりには「建て替えてくれてありがとう」という感謝を込めてるつもり。

何も気づかずに受け取られることもあれば、おお新札だ!って喜んで(?)くれる人もいる。

するとすかさず、このキレイなお金は汚い紙幣より価値高いと思う!という話をするのだけど、残念ながら今の所共感されたことはない。

と、ここまで書いておいて恐縮ですが、最近はもうその長財布を持ち歩いていない。というより、現金を使うことが本当に減っている。

そもそも自分は現金否定派で、特にあの小銭の不便さは令和に持ってきちゃいけない産物だと思う。

だけどそれは同時に、自分の些細なキレイなお札へのこだわりが失われるわけで、ちょっと悲しい気持ちにもなる。

たまには、ちゃんとした財布をもって、キレイなお金をレジの人に渡したら気分がよくなる(かもしれない)。

cover photo by unsplash

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