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「母子ともに健康です」

3月初旬。子供が生まれた。
もうだいぶ経ってしまったけど、忘れないように生まれるまでの色々を書き留めておきたい。


予定日が近づき、過ぎていく…

産まれるまで、僕も奥さんもソワソワする毎日だった。
予定日が近くなると週1で病院で見てもらっていたけど「マダマダですねぇ」という調子が長く続いた。

結局、そのまま予定日である40週、さらに41週を過ぎたが生まれる気配がない。そのため、本来は陣痛が来たら入院、となるところ、計画的に入院し、誘発分娩で産むことになった。

コロナ禍で自分は病院に入れないので、マンションの前でタクシーに乗り込む奥さんと別れた。検診ではとても順調で、むしろ事前に入院できることは安心なのだけど、離れていくタクシーになんだか寂しさと不安を感じた。

入院した翌日、陣痛が来たらしい。
「(陣痛が来て)喜んでる😂めちゃ痛い😂」というポジティブ気味なメッセージが来たあと、ぷっつりLINEが来なくなった。

後で聞いた話だけど、痛みがだんだん強くなり、気が狂いそうなほど痛いらしく、連絡どころじゃなかったらしい。

この数日間は気が気じゃなかった。いつも連絡が早い奥さんのLINEが無い、ということが緊急事態であることを伝えているけど、でも自分は何もできない。

退院後に、と買ったけど退院時には葉桜に…。

そしてその痛みは2日間も続いた。食事はゼリー飲料ぐらいしか喉を通らず、陣痛の合間に気絶に近い睡眠を取る、そんな状態を繰り返していたとあとから聞いた。

そして2日後、ついに「お産が近づいてきた」と奥さんから連絡があった。ついにきた。

この時期の病院はコロナ禍による制限として「出産前後30分程度は立ち会い可」という状態だった。

コートを着て家でスタンバっていると病院から呼び出しの電話があった。

タクシーで病院へ向かう。深夜だけどすぐ捕まった。(GOアプリは便利)
よく話す人の良さそうな運転手で「この辺のでかいマンションに住んでたが、事業に失敗して引っ越した」という若干不幸な話を聞かされながら産院へ。

病院につくと、思ったより冷静な、だけど呼吸に全集中してる奥さんが分娩台にいた。まだちょっとかかるかなぁ、という説明を助産師さんから聞く。

僕は手を握ることぐらいしか..、と当初思っていたが、実際は「足が攣らないようにマッサージする」という仕事をもらった。赤ちゃんを出すときは踏ん張る必要があるのだけど、お産が長引いていて足が攣りそうだったらしい。

数分ごとに先生と助産師さんが「はい!今!力んで!」と声がけをして、少しずつ赤ちゃんを出していく。そのたびに奥さんが力むのだけど、今までに見たこと無いぐらい顔色が悪くなるので、そのたびに心配になる。

ちなみに先生も助産師さんもめちゃくちゃ落ち着いてるので、心配はしていたけど少し和んだ。(でも時々素人にはわからない専門用語で先生たちが話してるのを聞くと不安になる..。)

そんなことを30分ほど繰り返し、最後は外科的な処置も少し入りつつ…

無事に赤ちゃんが出てきた。


静かに産まれた

差し入れに家の桜の一部を病室に持っていった

大泣きして出てくるのかと思っていたが、静かなものだった。産まれた瞬間の赤ちゃんは肌が赤黒くいかにも「生まれたて」という感じ。それでもちゃんと動いていて、元気な子であることは自分にもわかった。

病室移動の準備ができるまでの間、生まれたての赤ちゃんを抱かせてもらう。ほんのり温かくて、ずっしり重さがあって、小さくもぞもぞしている。その時はそんなフワフワした感想ばっかりだった。

そして出産が終わり、奥さんが痛みから開放されたのが一番ほっとした瞬間だったかもしれない。正直産まれた直後は赤ちゃんより奥さんが心配だった。それぐらいお産は壮絶で、母体に何かあったらどうしよう、と心配になるぐらいだった。

自分が立ち会えたのは出産のわずか数十分だけだけど、奥さんが頑張っているところを目の当たりにできたことは、「お母さんは大変」と言われる所以を理解するには十分な時間だった。

たまたま、出産前に読んでたエッセイ集に、

「宇宙から地球を見ると色々ちっぽけに感じることに起因して、壮大なことに身を置くと見え方が変わることをOverview effectという。男性にとって女性の出産の壮絶さはまさにそれなのではないか」

というのがあった。今ならわかる、そのとおりです。


喜びと安堵もつかの間、「じゃ、そろそろ...」と助産師さんに言われ病院を出る。

それぞれの両親に出産の連絡を入れた。深夜だったのでメッセージにしたのだけど、「母子ともに健康」という文章を打ちながら、その言葉の意味を噛み締めた。

これだけ医療が進んでいる現代に置いて、この一文は定型文みたいなものかと以前は少し思っていたけど、いざ自分の番になってみると、確かに、母も子も元気であることに心底安心した。

帰り、産院の前でタクシーに乗ると、「あれ、ここ産院ですよね?…おめでとうございます!」と言われた。まさか最初のおめでとうがタクシーの人になるとは思ってなかったのだけど、妙にニヤニヤしてしまったことを覚えている。

深夜3時ごろ、家につくといつものリビングがある。あまりにもいつもの景色なので、さっきまでのことが嘘みたいに感じられて、なんだか不思議な気持ちだった。


準備して待つ

そこからは、予め奥さんと決めていた「退院までに家でやっておくことリスト」を見ながら、新しい家族を迎え入れる準備をした。

同時に、家族以外の周りの人に少しずつ産まれたことを報告した。やっぱり自分が嬉しいことに身近な人達から「おめでとう!」って言ってもらえるのはそれまた嬉しいものだった。また、色んな人から素敵なお祝いまで頂いたりして、そのたびに「ああ、子供が産まれることって良い事なんだなぁ」ってしみじみした。

産まれたあと、数日出社はしたけど育休の手続きばかりで育休に入ってしまった。

本当に今一緒に働いてる人たちにはサポートをしてもらっていて、生まれる前のソワソワ期には話を聞いてもらったり一緒に心配してくれたり、予定日が近くなると「そろそろだねぇ」なんて話をしてくれたりして。不安な気持ちが、そういう一言でとても救われたりするのだった。

先輩パパには「退院までに最後の一人の時間で好きなことやっておいたほうが良い」というアドバイスをもらいつつも、フワフワしたまま何も手につかず、あっという間に時間が過ぎていった。

それから一週間後、ついに奥さんと赤ちゃんが退院。初めてのベビーシートに赤ちゃんを乗せ、我が家に迎え入れ、ついに3人家族での生活がはじまることになるのだった。



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