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辛い拍手を乗り越えて - デザインの基礎を学んだ思い出

今でも時々思い出す、大学で最初のデザイン課題での講評。あれは今のところ人生で最も凹んだ瞬間。

自分は大学でデザインを専攻していたので、1学期ごとに「課題」が出されていた。(当時うちの大学は3学期制だった)

普通の座学の授業もあるんだけど、この「課題」は各デザイン領域の先生から、「こういう想定だとして、それを◯◯する提案をしなさい」みたいなやつで、会社でいう新商品提案、みたいな感じ。

入学時、そういう授業があるという噂は聞いていて、ワクワクと不安が入り混ざった気持ちだったことを覚えている。

意味不明な課題とプレゼン

そんな気持ちを持って1年生1学期最初の、いわばデビュー戦の課題は:

感じるプロダクトを提案しなさい

感じる。。?この教授何言ってんだ。。

的な気持ちだった(と思う)。自分はそれまで好きな教科は物理と数学、ということもあって、そんな抽象的すぎる問いに初日から大いに悩んだ。

この授業は週1で行われ、毎週先生にプレゼンし講評される。

感じるってなんだ?、この提案って感じるのか?、プレゼンはどうする?おまえどこまで進んだ?みたいなことを他の学生とも悩みつつ、プレゼン前日は必ず徹夜。

プレゼンは所定のボードに手書きが必須で、提案自体を考えるのにも時間がかかるのに、それをA3程度のボード1枚に簡潔で、しかも(私の苦手な)手書きでまとめる、というのが何も知らない1年生の自分には相当ヘビーだった。

少しずつ手応えを掴んでいく講評

「今の先生はめちゃ優しい」と先輩たちは言っていたが、それでも先生たちは良く無いものには容赦なく「これ、センス無いよね」とか、緊張で足ガクガクな子鹿を崖から落とすような講評をしていた。

コメントされるだけ、ではあるんだけど、それでも多くの学生が毎週徹夜して、結構な緊張感で臨むこの講評では、そんな事でも十分辛い気持ちになった。(徹夜は時間調整が下手だっただけ、という説もある...)

そうやって傷つきながらも、少しずつ先生の講評がわかってきて、私は最終回より1つ手前の講評では結構手応えがあった。たぶんその回の講評が私にとっては最も良い評価で、嬉しかった。

人生で一番辛い拍手

この授業においては単位や成績表の評価はもはや重要じゃなく、だけど、最終講評はとても重く感じた。

数十年続く名物授業だったこともあり、最終講評は芸術系のデザイン以外の学生も見にくる、ちょっとした「プレゼン大会」だった。

しかも良い提案TOP3を決めるために、その見にきてる人たちで投票をし、順位を争うというイベントでもあった。

最終講評一つ前の授業内のプレゼンで、講評がよかった私はそれをブラッシュアップすべく、教授たちから最後に言われたコメントを全部取り入れた

そして迎えた最終講評。自信満々にプレゼンした私だったけど、その評価は

「何が良いのかわからん」「おもしろく無くなったね」

とグサグサ最終回に言われ、完全にダメ提案として終わった。

みんなの前でダメ出し、というのも恥ずかしかったけど、それより辛かったのが投票の結果だ。

この投票自体は各個人の案にされるのだけど、TOP3の決定はチーム制だった。3人1組があらかじめ決まっていて、各メンバーが集めた票の合計でTOP3を争う。

そしたらなんと、うちのチームが優勝した...。

自分の得票数は覚えている。「1」だ。でもこれは実質ゼロだ。先生の優しさで投票開始直前に全ての提案に1枚投票シールを入っているのを私は知っていた。だから、私の提案はたぶんマジでつまらなく、誰にも投票されなかったということ。

じゃあなぜ優勝したか。それは自分以外の二人の提案・プレゼンともに完成度も高くユニークで、だから先生にもオーディエンスにも評価され、実質彼ら2人の得票だけで優勝したのだった。

今でも覚えてるけど、私のダメ出し講評が始まった時から「早く帰らせて」ってずっと思っていた。

そんな気持ちの私だったのに、チームは優勝したため、3人で再度教室中央に立ち、温かい拍手と景品のおかし詰め合せ的なのをもらった。

たぶん、人生で一番辛くて長い拍手の時間だった。

その時間が終わると、履修してた学生みんなで打ち上げするって話があった気がするけど、疲れと、なにより気持ちが辛くてまっすぐ寮に帰ってベッドに突っ伏したことも、今でも良く覚えている。

身に染しみこむ学び

自分はその辛い経験を乗り越えた後の「挫折を乗り越え遂に甲子園!」みたいなわかりやすいサクセスストーリーが正直ない。

でも、「修正案にフィードバック全部載せ(※)」はやめるようになり、提案の筋を通す重要性も気づけた。その後の課題は最初ほど酷くもなかったし。

※)ちなみに、「修正案にフィードバック全部載せ」は社会人でも時々見る。ちなみにそれをこじらせたパターンは「偉い人に言われたからやった」だと思っている。これはシリアスに撲滅しないといけないと思っている。

また、友達同士でお互いの作品にあーだこーだ言えるようになったのも、先生たちに色々言われたからこそだと思う。

辛かった授業の名前は確か「デザイン基礎実習 1」、通称デキソ。

教科書なんて無かったし、何かの方法論や「デザイン思考」なんて1ミリも教えられなかった。だけど、確かにそれは自分にとって「デザインの基礎」で、社会人になっても、人に何かを提案するとき、そこで学んだことは生きていると今振り返っても感じられる。

正直、もう一度あの辛い思いをしろっていわれるとしんどいかも。だけど、ああいう大事なことを、「身に染みる」形で経験できたから、今細々と生きているのかもしれない。

基礎は身に染みる形が良い。それが今日思い出した学び。



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