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本当の自信を得るためには、結局”努力するしかない”という話

先日、といっても風邪でダウンしていた2月のことだが、『しゃべれども、しゃべれども』(佐藤多佳子著:新潮文庫)という小説を読んだ。内容はとても面白く感慨深いものだったし、何より文章のリズムが心地よくて読みやすくて、久しぶりに「あ~、良い小説に出会った!」と思った。読みながら、映画化されてもおかしくないなーとは思っていたんだけど、読了後に調べてみたら…とうに映画化もされていましたね。世間知らずでした。

この小説で、ボクが一番考えさせられた部分があります。自信について主人公が考える場面。その部分を一部抜粋させていただきます。

”自信って、一体何なんだろうな。
自分の能力が評価される、自分の人柄が愛される、自分の立場が誇れる―そういうことだが、それより、何より、肝心なのは、自分で自分を”良し”と納得することかもしれない。”良し”の度が過ぎると、ナルシズムに陥り、”良し”が足りないとコンプレックスに苛まれる。だがそんなに適度に配合された人間がいるわけがなく、たいていはうぬぼれたり、いじけたり、ぎくしゃくとみっともなく日々を生きている。”

『しゃべれども、しゃべれども』(佐藤多佳子)

文庫本の解説にもこの部分がフィーチャーされていたので、あながちこの本のテーマの一つはここにあるのか、と国語ダメ人間のワタシでも読解力は多少あったようで安心もしたり…。まぁ、それは置いといて。

自分で自分を”良し”と納得すること、最近流行りの言葉で言えば「自己肯定感」ということなんだろうけれど、これってなかなか難しいものですよね。うわべだけで自分を良しと思うだけではだめで、本心はまだ”だめな私”という意識(大抵は無意識)が残っていれば意味がないわけで。いま巷にある情報では、どうも表面的な部分をなんとかしようとしているだけのような気がする。もちろん、全部とは言わないけれど。

で、なぜかつい先日、といっても2週間くらい前だけれど、書店で気になった本があったので購入して読んでみた。『「自信がない」という価値(原題:CONFIDENCE)』(Tomas Chamorro-Premuzic著)

ごく大雑把に言えば「自信が無い方が優秀だ」みたいな論調だが、結論としては「本当の自信というものは、結局、努力して物事にあたるしか得られない」ということだと読み解いた。社会心理学者で大学教授の著者が、様々な研究を元にして本書を書かれているので、ある程度のエビデンスはあるともいえるし、ちょっと考えれば「そりゃそうだよな、確かに本当の自信なんてもんは、結局は努力してスキルなり経験なりを積み重ねないと形成されないわな~」というところに落ち着くだろう。

結局は努力。近道や安易な方法はない。

それがイヤだから、なんとかラクしたいと思うのが人というものなんですけれどね。ボクだってわかっていながらも、ついつい”自信”とか”自己肯定感”みたいな情報に食いついてしまうのだから。

でもって、その”努力”かどうかはよくわからないけれど、最近は淡々と、かつ毎回なにか新しい挑戦をしながら曲を作って、YouTubeでリリースしています。
もちろん、自信は無いですよ、全然。ほんと。
ここで言う自信は、”出来るかどうか”というような類のことではなく、明らかに他者からの視線や、人と比べて…ということなのだろう。(ああ、情けない。)

だからこそ、「自信についてはもう考えない」ようにしている。
「余計なことは考えるな!とにかくやって経験値を上げて、少しでもスキルを磨いていこう」としか考えないように心がけている。

もっとも凹むことはよ~くあるけれど。
そういうときは「あ、凹んでる凹んでる、オレ」って俯瞰して、なだめてやるしか無いですね。



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