モノローグ
取り出す、使う、しまう。散らかす、片付ける。汚す、落とす。買う、作る、洗う、食べる、片付ける。取り出す、着る、脱ぐ、洗う、干す、畳む、しまう。溜める、浸かる、洗う。寝る、起きる、仕事、家事、寝る、起きる、仕事、家事、寝る・・・・・・。
毎日毎日よくやる。やっては消えやっては戻しの繰り返し。まるで賽の河原の石積みじゃないか。この繰り返しの中に目指すべき場所へ到達するために積み重なり前進していることが果たして一つでもあるだろうか。全ては現状維持のための儀式に終始しているように感じられる。体調に関しても一つ調子が良くなるとまた別のところがだめになる。まともに活動し続けるために労り休息しメンテナンスを続けるがそうして得られた貴重な活動時間は生きていくための仕事で消費されてしまう。
ほとんど生命維持のために活動しているようなものだ。何の意味があるのだろう、そうして努力し続けることに。私に出来ていることといえば社会の歯車としての役割をこなすことと納税して今の年金暮らし世代を支えていることくらいだ。あとは経済活動を通して企業に利益を与えている。それだけでも立派だと言ってくれる人もいるかもしれないが、そういう話をしているんじゃない。私は立派な社会人になりたくて生まれてきたわけではないのだし、納税し悪徳政治家や大企業幹部の懐を潤わす一端を担うことに生きる喜びを見いだせるわけではもちろんない。むしろ既得権益者に搾取されているとすら感じる。信頼の出来ない政治はこんな人生に意味があるのだろうかという生への虚しさに一役買っている。
高校の生物教師が言っていた。現状維持は進歩だと。人間の身体機能は20代をピークに衰えていく。20代前半を過ぎて現状維持を続けられるのは進歩だ、何もしなければ衰えていくばかりなのだからと。だったらどうして、と私は思う。だったらどうしてこんなにも「余生」が長いのか? 余命80年として身体機能のピークが20代なのはどう考えても人生の質の向上に逆行している。本当は50歳くらいで死ぬべきじゃないか。社会の歯車として現状維持の努力をし続けないといけない時間があまりに長すぎる。ワークアズライフという生き方が出来ている人間はいいかもしれないがワークライフバランスを取ることに苦心しているような人間にとっては、あまりに絶望的な状況じゃないか。
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