お小遣い

我が家はお小遣い制ではない。私は現在収入がないため、欲しいものを両親から許可された後に購入する。と言う方式だ。お小遣いをテーマに文章を書こうと思い立ったのは来月からは私が収入を得ることができるようになるからで、お金を趣味に気兼ねなく払えるようになってからではお金への見方が今とは変わっていくのではないかと確信に近い予想をしているからである。

さて、両親からお小遣いをもらっていない私が「お小遣いをもらう」と言う経験をするのは親戚にあった時だけである。三週間ほど前も鹿児島にある祖母の家に行った時に祖母に、これまた鹿児島にある大叔父さんの家に行った時には大叔父さんからそれぞれお小遣いをいただいた。

私はお金が大好きなので、親戚の家に行く理由の一つには必ずお小遣いが含まれている。親戚に会いたい、ただ人と会って話すのが苦手な私の背中を押してくれる存在。それがお小遣いだ。それに加えるメリットとして、お小遣いを受け取ったら感謝の言葉を述べるために声を出して親戚と二言ほど会話する。「ありがとうございます」と後半声が掠れながらも言葉にする。目は合わせられない、頷くだけでも意思表示をする。それだけでも「親戚と会話できた」と言う事実が私自身嬉しいのだ。親戚と会う時は気を張っていないために意思表示も苦手だが、親戚の皆さんには私が会話したいと言うことだけでも知ってほしい。それを伝えられたという喜びはお小遣いをもらう事実と同じかそれ以上だ。いや、それは過言か。

私は経験としてお小遣いをくれる親戚の家には基本行きたいことを知っているので、後少しで二歳になる姪にもお小遣いを渡そうと思っている。お年玉だけになるかもしれないが、毎年渡したい。姪に会いに来て欲しいのもそうだが、なんとなくお小遣いをあげる自分が大人に感じるのだ。

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