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「何者かにならなきゃいけない病」が自分を苦しめ続け、26年が経ちました。

私は高校インターハイを優勝したソフトボール選手です。日韓交流戦に日本代表として出場し、その後もオーストラリアのQLD州U24代表、ポーランド代表としてヨーロッパ大会に出場、それを機にスウェーデン1部リーグからオファーをもらいました。

クラウドファンディングは3度成功。総額260万円を集めて、スポンサーも累計30社程度契約を結んだこともあります。

突然の自慢話すみません。あえて私がこう書いたのには、タイトル通り「何者かにならなきゃいけない病」にかかっているなと感じているからです。

この記事は、私がソフトボール選手として活動してきたことにより、自分を見失ってしまった経験、自分との向き合い方を見失ってしまったリアルな話を書いています。

少しでもキャリアを悩んでいるアスリートの方に届くと嬉しいなと思っています。

終わりの見えないソフトボールのキャリア

私がソフトボールを始めたのは小学2年生。中学は全国ベスト4、高校はインターハイ優勝。誰もが羨ましがるキャリアを歩んできたつもりでした。

もちろん、良かったこともたくさんあります。クラファンをするときには、日本一になっていた経験が周りへの信頼となり支援してくださった方も少なくありません。

ピッチング指導では「日本一のチェンジアップはやっぱり違うな」と言っていただいたこともあります。

とてつもなくソフトボールのキャリアで恩恵を受けている身として、こんなことを言うのは恐縮ではありますが、ソフトボールで成し遂げてきたキャリアは私を容赦なく傷つけてきました。

「次はどこの国でプレーするの?」
「日本代表を目指しているの?」
「そんなに練習しなくて大丈夫?」

赤の他人から突きつけられる言葉もあれば、案外身近な人から言われる言葉もあり。私の中でソフトボールのキャリアの終わりが見えなくなっていきました。

やめたいという言葉を口にすれば「そんなもんか」と後ろ指を刺され、もう一回がんばります!といえば「何を目指しているのかよくわからん」と言われ。笑

別に私は楽しくてソフトボールやってるんや!という言葉も届かないし、どんどん誰のためにソフトボールを頑張っているのかもわからなくなった時期もありました。

人生2度目のコロナ

2022年11月1日。人生2度目のコロナになりました。1回目と同様、まあ安静にしておけば治るだろうと思ったのも束の間。病状はどんどん悪化し、今日現在12月6日まで後遺症が長引いています。

1月3日から渡航し、14日からは試合が始まる想定なので、今からどう足掻いても試合にベストな状態で挑むのは無理ゲーです。

体調不良が重なった結果、体重はピーク時から-10キロまで落ちて、今やソフトボール選手というと「華奢すぎない?!」と驚かれるくらいの体になりました。

この体型の変化も私にとって大きかったのが「女性として、いつかはこの体重になりたいな」と思っていた体重まで辿り着いたことです。

中学生から体重をキープし続けてきた私にとって、ある意味大きな転機にもなりました。

「このままソフトボールを続けなければ、この体重をキープすることもできる」

たかが体重、と思うかもしれません。でも、私にとってはコンプレックスになっていたほど大きな問題の一つでした。

今も咳喘息が治まっておらず、体調もまだ万全ではないので運動もできません。このままオーストラリアに行ってもパフォーマンスが発揮できないことが見えているのに、こんな状態で続ける必要があるのかとも自問自答を繰り返しています。

現役でいることの楽さ

現役選手でいることが楽というと、今必死に現役選手でいる人たちに失礼かもしれません。でも、引退した選手ならわかる人もいる気がします。

現役選手でいるのって、楽なんです。ずっとスポーツ選手という肩書きを背負うことができるし、自己紹介も楽だし。

何をしているのかが一髪でわかるので、周りとも差別化できます。

ソフトボール選手でいるのって、本当に楽でした。一回、ソフトボールをやめるってなったときなんて、周りに気を使わせてしまい「えっと、なんて紹介したらいいかな?」と言われたこともあります。

現役でいることで、自分のアイデティティが保たれる。だから現役の肩書きをずっと捨てられずにいたんだと思います。

人生最大の覚悟は「引退宣言」

上記を踏まえた上で、なんだかんだ、人生最大の覚悟って引退宣言だなと。私はまだ「引退します!」なんて声を大きく言えるほど強くないし、いまだにオーストラリアでソフトボールを続けるか否かを悩んでいます。

ソフトボールがなくなった私って、何も残らないんじゃないかって怖くなる日もいまだにあるし、周りにそうじゃないよと言われてもやっぱり不安です。

きっと、他のアスリートも同じような気持ちで引退宣言することを怖がっている人もいるんだろうなと思うと、隣で肩をそっと撫でてあげたい気持ちでいっぱいです。引退宣言できる人はすごい。本当に強いよ。

これからの私

文中にもサラッと触れましたが、今のところ私はオーストラリアに行く予定にはしていますが、ソフトボールはおそらくしないです。

ほぼしないことが確定しているにもかかわらず、おそらくしないと書いてしまうのは、私の心の弱さの表れで。多分、本気でできないなというのが本音です。

ユニフォームもグローブも一式持っていくとも思います。でもやらない可能性の方が高そうだなあという気持ちです。

中途半端で申し訳ない気持ちでいっぱいですが、私もここまで本当にソフトボールと向き合って頑張ってきました。そんな自分を褒めてあげたいし、もう少し労ってあげたいなと。

自分を苦しめることなく、肩書きも持たずにのんびりと生きていける世界線に足を運んでみたいな〜と思う今日この頃です。

ちょっとまとまり悪いですが、今の気持ち、結構今後振り返った時に大事になる気がしたので書きました。

終わり。




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