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10.モチベーションは存在しない
暴論だろうか。
あくまで僕の一意見だけど。
モチベーションは存在しない。
そう考えている。というより、そう捉えている。
こんな話、誰のためになるんだろう……。(笑)
気分の上がり下がりが激しいんです、といった人に対して、ちょっとした新しい視点みたいな感じで見てもらえればいいだろうか。
ドライすぎたらごめんなさい。。
モチベーションが上がる?下がる?
モチベーションが上がった、下がったという言葉をよく耳にする。
上がる、とは。
下がる、とは。
一体何と比べているのだろう、と思う。
いつと比べて上がった?下がった?
人には恒常性というものが存在するという。
つまり、元に戻ろうとする動きのこと。
上がった気持ちは元に戻る。下がっても、一生下がったままではない。
ディズニーランドに行った次の日まで、夢を見られても困るわけだ。
あと、多分ずっと上がってたりしたら身体がもたないんじゃないかなぁとも思う。
そもそも気持ちは、元に戻る動きをする。
そのときのベクトルはマイナスに動いているかもしれない、それを下がったと感じるのであれば、きっとそうなのだろう。
そもそも気持ちの動きを二次元で考えるから、上か下かしか評価軸がないのだ。そもそも論。
僕は三次元で捉えている。
立方体のような、箱の中を動く点をイメージしてもらえればわかりやすいかな。
点の位置はx軸、y軸、z軸で表される。
それが動くのだ。ときにプラスに、ときにマイナスに。
そのマイナスは「負」ではなくただの「座標」。
位置が移動しただけである。
宇宙空間に上も下も右も左もないように。
気持ちも移動はするが、上も下も特にないと考えればいい、と思っている。
止まってたら死んでるみたいなものだから、まだ動いている方が面白いよね、人生。なんて。
どこにモチベートされるのか
それでも実際問題、よしこれをやるぞ!と気合いが入る感覚はある。
まじか、とヘコむときももちろんある。
一体、何に対して自分はモチベートされているのだろうか、と考えたことがある。
端的にいうと、「目的」だと思っている。
長年野球をやってきた。素振りを飽きもせず毎日やってきた。
テンションが上がったらいっぱいやる、それはあったかもしれないが、やる気が出ない、気分が下がっているから素振りをしない、そんな日はなかった。
甲子園に行きたい。試合に勝ちたい。ヒット打ちたい。
その思いと、気分の上がり下がりは関係ない。
いっときの気分が下がったから甲子園いいや、とはならないように、甲子園に行きたいのなら素振りは必要である。
ヒットを打ちたいのなら、バットは振るでしょうよと。
気分が落ちた。上がった。
多分、僕の行動理由は、そこにはない。
自分の向かうべき目標、目的、そこが大事なんだろうと思う。
気分で行動を決めていたら、こういう目標を達成したい!と思っている自分自身に嘘をついていることになる。
甲子園、行きたいんじゃなかったの?ってもうひとりの自分から聞かれているような感覚になる。
自分に素直に。
求めているものに正直に。
感情をなくすというより、うまく管理下に置いて行動に移せればいいですよね。
解釈次第
まあ、偉そうなことをつらつらと述べたが、僕は聖人君子でなければロボットでもないので、先述したように気持ちの動きはある。
下がるときもあれば、なぜだか無性に上がっている、と感じるようなときももちろんある。
ありますよ、ほんとに。
そりゃあ、目指しているといろいろあるんですから。
ただ、わざわざ気持ちの動きを自分が苦しむ方向に捉えなくてもいいのに、と思っているだけだったりする。
うまく寄り添おう。
うまく付き合おう。
まだこれから数十年間、あなたはあなたの気持ちと一緒に生きていくのだから。
共に歩んでいくのだから。
つまるところ、解釈次第。
「人は解釈一つでいくらでも変われる。きっと何者にもなれる。」
誰の言葉かって?
三年半前の、過去の自分のツイート。
何を思って書いたんだか。
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