410.血の滲むような、想像を絶する努力の先に
「自分の持った夢に、自分の人生は概ね比例する結果を生む。」
孫正義氏の名言です。
大きな夢を持つ。
志を高く持つ。
それは時に、人から笑われたり、馬鹿にされたりするかもしれません。
しかし、それをものともせず、ただひたすらに努力し続けた人が、世の中の成功というポジションを掴み取っているのもまた事実です。
笑う側の人間は、そこに辿り着くことは未来永劫あり得ないわけです。
ではどのようにして、成功までの道のりを歩んでこられているのでしょうか。
そこには文字通り血の滲むような、想像を絶するような、尋常ではないほどの努力を積み重ねが存在しています。
狂っている。
頭がおかしくなったのか。
馬鹿げている。
そんなにやっても意味がない。
などなど。
狂っているほど努力をするから、狂っているような結果につながるのです。
普通の努力をやって、あるいは想像のつくほどの頑張り具合で、とんでもない結果が出るとでも思っているのでしょうか?
その発想の方が、よっぽど危ういですよね。
延々と死ぬまで続くわけではないでしょうが、いずれにせよ一様に、成功を収めている方々は、皆一様に血の滲むような努力の期間を経ています。
例えば、堀江貴文氏だってそう。
一見天才のように思えますよね。
西野亮廣氏もそう。
一見、才能溢れた人に思えますよね。
中野優作氏もそう。
僕が最近よく動画を視聴している方です。
こういった方々の成功の要因は、果たして天賦の才や、神懸かり的な運や、生い立ちなのでしょうか。
しかし表に見えるいわゆる成功者と呼ばれる人たちの今の姿は、それら外的要因にも恵まれて成功されているんだ、と勘違いされがちです。
もっとも、その勘違いしたくなる気持ちも分からなくはありません。
あんなに頭は良くないし、ビジネスの勘もなければ、潤沢なお金もずば抜けた才能もない。
ただ、だからといって諦めるような人にはそもそも成功は手に入りません。
そこに考えられないほどの努力がないはずがないのです。
そんなことも想像ができないから、成功から程遠い位置にいる人がやいやい言ってくる。
ちょっと強烈な言葉かもしれませんが、つまりはその現象が起こることは必然的なのです。
もちろん、例外はあるかもしれません。
かくいう僕自身も、自分よりも過酷な状況にならざるを得ない人からすれば恵まれている方かもしれません。
すでに死ぬほど努力されている人もいるかもしれません。
僕はこの努力量の先に、こういう未来が待っているという未来予想図を描く力はつけてきました。
その努力の先に。
自らをとことん追い込み徹底的に管理し、鍛え上げてきた世界の先に。
血の滲むような、想像を絶するその努力の先に。
僕は夢を描いている。描けている。
自分の持った夢に、自分の人生は概ね比例することを、体験で分かち合えるような結果を出していきます。
日々精進。
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